高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和42年)
1967年10月 7日(土)
 雨のち曇 ヒロ子ちゃんの下宿にて
 東京:雨・最低15.5℃最高19.1℃。未明から雨だったが、午後からは弱くなった。
 ヒロ子は高野悦子の姉。大学に通うため東京に下宿していた。
☞1968年2月19日「東京王子、ヒロ子下宿にて」

 二十五日、一・三〇~二・三〇PM、仏語文法テスト
前期試験

 日曜日にversionの所を一生懸命やっていったのだが
 versionは、仏文和訳の練習問題の意味。

 入試以来初めての試験で
 一番最後に受けた入試は1967年2月27日の明治大学文学部である。
☞1967年3月10日

 『チャタレイ夫人の恋人』を読んで「創造」の生活を考える。
 ロレンス著伊藤整訳「チャタレイ夫人の恋人」新潮文庫(新潮社、1964年)である。
 ロレンスは、性について「接触によって、互いに生命を与え合うからで、そういう合一こそが性行為なので、二元性から一元性へ徐々として進んでいくところに、人間性のあらゆるもの、すなわち、子供とか、美とか、種々の作品とか、人間の真の創造物が発現する」(安藤一郎『解説』ロレンス著伊藤整訳「チャタレイ夫人の恋人」新潮文庫(新潮社、1964年))と考える。

 「チャタレイ夫人の恋人」をめぐっては、翻訳者と出版社社長が刑法175条のわいせつ文書の頒布・販売罪で起訴され、わいせつ文書と表現の自由の関係が争われた「チャタレー事件」が起きたことでも知られている。

 『同和教育』をよんでいると、
 これは書籍の名称ではなく、『「同和教育の総括と今後の方向」について』「教学時報25号」(立命館大学、1967年8月27日))を指している。
 「部落差別は、身分的な差別による地域、職業の差別であり、その差別は政治・経済・文化その他社会の全般にわたるものであって、基本的人権そのものにかかわっている。しかるに、部落差別を温存するのみならず、これを拡大する社会の現実のなかで生活しているわれわれの多くは、意識すると否とにかかわらず、差別を吸収し、差別意識を有している。
 したがって、部落差別の歴史的社会的な内容とその諸実態、その内的な連関を明らかにするなかで、われわれのもっている意識の内容を認識し、われわれが部落差別の現実に社会的な責任を有していることを自覚して、差別意識の克服につとめるとともに、部落を解放し差別をなくしていく立場に立つよう教育すること、これが同和教育の目的である」(『「同和教育の総括と今後の方向」について』「教学時報25号」(立命館大学、1967年8月27日))

 立命館大学は10月2日(月)に小冊子「大学教育と部落問題」(立命館大学、1967年)を配布したうえで、10月4日(水)に教職科目「同和教育」を開講した。
同和教育問題

 ある人はいう。「自由の最大の敵は自己自身である」
 亀井勝一郎の文章である。
☞1967年7月15日「「しかし自由の最大の敵は自分自身であることに気づく人は少ない」」

 『矛盾論』を読み始める。
☞1967年5月9日「毛沢東の『矛盾論』をよみかえしている」

1967年10月10日(火)
 晴 体育の日
 京都:晴・最低10.5℃最高24.0℃。
 体育の日の祝日は当時、東京オリンピック(1964年)の開会式が行われた日にあたる10月10日だった。2000年からハッピーマンデー制度により、10月の第2月曜日になっている。
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