高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和43年)
1968年 6月13日(木)
 山で蟹を見つけたときのおどろきとちょっとしたこわさ、

☞1968年6月12日「久しぶりで裏山に行っておどろいた」

 琴やお茶、能に興味があること。

☞1968年4月9日「ああ、私は琴が好きなのだと思った」
☞二十歳の原点ノート1966年11月6日「お茶を習う」
☞1967年11月18日「仁王門近くの観世会館で立命能を見る」

 部落研をやっていたころの自分、

部落研

曽爾高原地図 6月16日(日)にワンゲル部の活動で曽爾高原に行ったとみられる。
 曽爾高原は奈良県曽爾村にある高原。京都からハイキングの場合、近鉄で京都駅─大和八木─名張駅、さらに名張駅からバスを利用したルートの可能性が高い。
☞1968年9月30日「曽爾」

1968年 6月26日(水)
 小雨 梅雨前線日本上空にあり

 京都:雨・最低18.9℃最高22.4℃。「南に遠ざかっていた梅雨前線が、北上して日本の南岸に近づき、前線上を低気圧が西から東に進んでいる。南岸のツユ空はしばらく続きそうだ」(『きょうの天気』「朝日新聞1968年6月26日」(朝日新聞社、1968年))

 河原町三条から四条へとブラブラした。といっても、本屋で山の写真とか日本史の本をみたのだが。
河原町通の書店

 京都市電・河原町三条電停で下車し、河原町通を四条河原町交差点付近まで歩いたとみられる。
河原町三条電停跡
 その間の付近にあって新刊書を扱っていた書店は、北から順に以下の通りであり、全国的にも有数の書店街となっていた。当時のままの場所で現在も営業している店はない。
河原町通の書店地図
 文祥堂書店は京都市中京区河原町通三条下ルにあり、洋書も一部扱っていた。建物は現存せず、ホテルになっている。店はビルになった後に移転して、京都市中京区姉小路通寺町東入ルで営業している。
 駸々堂本店は京都市中京区河原町通六角下ルにあった。5階建てビルの1階にあり、雑誌、児童書、学習参考書などに強かった。1993年に閉店した。建物は現存せず、ボウリング場やカラオケ店などが入るビルになっている。
文祥堂書店跡駸々堂本店跡
 丸善京都支店は京都市中京区河原町通蛸薬師角にあり、1967年に新築した6階建てビルで営業し、洋書もそろえていた。建物は現存せず、現在は大型カラオケ店の入るビルになっている。2015年から丸善ジュンク堂書店が「丸善京都本店」として京都市中京区河原町通六角下ルのビル、京都BALで営業している。
サワヤ書房
 河原書房は京都市中京区河原町通蛸薬師下ルにあり、茶道、華道、謡曲、美術書を専門的に扱っていた。2005年に閉店し、建物は現存せず、物販店などが入るビルになっている。
丸善京都支店跡河原書房跡
 京都書院は京都市中京区河原町通四条上ルにあった。4階建てビルで営業し、1階に一般書、2階に学術書、3階に美術書を置いていた。若者客を中心にして1960年代末の河原町通周辺の書店でいわゆる地域一番店の地位にあった。1993年に閉店し、建物は現存せず、商業ビル・河原町OPAの一部になっている。
 オーム社書店京都支店は京都市中京区河原町通四条上ルにあった。理工学系専門の出版社・オーム社の書店部門だった。建物は現存せず、河原町OPAの一部になっている。
京都書院跡オーム社書店京都支店跡
 河原町通沿い以外で、三条通では、そろばんや書店が京都市中京区三条通河原町西入ルにあった。終戦直後の京都を描いた小説にも「右側のそろばん屋という妙な名前の本屋へ」(織田作之助『寺町通』「それでも私は行く」(大阪新聞社(現・産業経済新聞社)、1947年))と登場した店だが、1986年に閉店し、現在はパチンコ店になっている。
 萬字堂書店は京都市中京区三条通新京極東入ルにあった。学習参考書を中心に一般書など幅広くそろえ、教科書も扱っていた。1988年に閉店し、現在は物販店になっている。
そろばんや書店跡萬字堂書店跡
 蛸薬師通では、ミレー書房が京都市中京区蛸薬師通河原町西入ルにあり、共産党系の社会科学書を中心に扱っていた。1999年に閉店し、建物は現存せず、物販店になっている。
 四条通では、海南堂が京都市下京区四条通西木屋町通西入ルにあり、山岳関係書を専門に扱っていた。京都市電・四条河原町新京極電停(東行)の前に位置していた店は2000年に閉店し、現在は飲食店になっている。
ミレー書房跡海南堂跡
 駸々堂、丸善、京都書院、オーム社の4店が大型書店として存在していた。地元の書店関係者によると、大型書店は来店客・売り上げとも多く勢力が強くなっていった一方で、それ以外の中小書店も雑誌や新刊書の品ぞろえに工夫したり、配達や定期購読の得意先を確保する形で営業を行っていたという。

 鈴鹿パーワンの反省をすまそうと、

鈴鹿山脈地図 6月23日(日)にワンゲル部の活動で鈴鹿山脈に行った。ワンゲル部で比較的よく行っていた山の一つである。
 鈴鹿山脈は主に三重県と滋賀県の県境沿いに位置する山脈である。三重県側が急な斜面で、滋賀県側はなだらかな斜面が広がっており、頂上や尾根に出ようとすると、三重県側から登った方が時間的に有利で、多くの登山口がある。
 京都からハイキングの場合はアプローチが長いが、
①京都駅─(国鉄(現・JR西日本、JR東海)東海道本線)─醒ケ井駅、バスを利用して上丹生から霊仙山方面へ登るルート、
②京都駅─(国鉄東海道本線)─彦根─(近江鉄道本線)─多賀駅(現・多賀大社前駅)、バスを利用して大君ヶ畑から鈴ヶ岳や御池岳方面へ登るルート、
③京都駅─(国鉄東海道本線)─近江八幡─(近江鉄道八日市線)─八日市駅、バスを利用して政所から龍ヶ岳方面へ登るルート、
④京都駅─(国鉄東海道本線)─草津駅、バスを利用して鈴鹿峠から高畑山や那須ヶ原岳方面へ登る、さらに南西の京都駅─(国鉄東海道本線・草津線)─柘植駅を利用するルート
の主に4つのルートがあった。このうち①と②と③は比較的近接しており、④は南鈴鹿と呼ばれあまりポピュラーではなかった。③だった可能性がある。
☞1968年9月30日「北山、比良、曽爾、鈴鹿」
パーワン

 屋上にあがって空を見たが、星も出ていず、どんよりとしている。

 6月25日(火)午後9時の京都:曇・20.3℃。雲に覆われていた。
原田方
☞1968年12月12日「シュラフを屋上に持ち出して」

1968年 6月30日(日)
 予備合宿で比良にいってきたが、
 予備合宿とは、ワンゲル部で夏合宿の事前に、合宿のパーティ参加予定者たちが京都の比較的近場で行う夜営等を伴った山行。
 トレーニングを兼ねながら親睦を深めたほか、個々の体力等をリーダーが把握する機会でもあったという。したがってこの時点で夏合宿のパーティ参加予定者の顔ぶれは固まっている。
☞1968年7月15日「今日も合宿のことばかり考えていた」
比良山地

 比良山地は、琵琶湖西岸で滋賀県志賀町(現・大津市)、高島町・朽木村(現・高島市)に連なる山地である。ワンゲル部では、京都・北山に次いでよく行っていたという。
比良山地地図武奈ヶ岳地図
 当時の比良山地のハイキングコースでは事実上、滋賀県志賀町(現・大津市)の花折峠の登山口が南端で、滋賀県朽木村(現・高島市)の蛇谷ヶ峰が北端になっている。
武奈ヶ岳方向

 また雨に降られたし、

 (参考)6月29日彦根:曇、夜一時雨・最低21.4℃最高27.3℃。

 武奈以北で尾根を間違って時間がかかってしまったり、
武奈ヶ岳

 武奈ヶ岳は、滋賀県志賀町(現・大津市)にある標高1214.4m(現・1214.2m)の山。比良山地の最高峰にあたる。
頂上部武奈ヶ岳山頂
 比良山地ではふもとから山上までの交通手段として、滋賀県志賀町(現・大津市)に比良リフト・比良ロープウェイ(山麓駅─シャカ岳駅─山上駅)、またサンケイバレイカーレータ(山麓駅─山頂駅)があった。このうち比良ロープウェイ・山上駅は北比良峠にあって武奈ヶ岳に比較的近く、これを利用すれば積雪期などを除き、武奈ヶ岳山頂まで手軽に行くことができた。
 比良リフト・比良ロープウェイは2004年に廃止された。このため現在、武奈ヶ岳の山頂に行くのは困難ではないものの、ある程度の体力が必要となっている。
 サンケイバレイカーレータはびわ湖バレイカーレータと改称された後、1975年に廃止された。代わりにゴンドラリフト(「アルプスゴンドラ」)となり、さらに2008年からはびわ湖バレイロープウェイとなって交通手段として続いている。ただしびわ湖バレイロープウェイ・山頂駅がある打見山から武奈ヶ岳までは距離がある。
☞1968年12月3日「一日、武奈岳に行くつもりが」

 山で登山者でない人に会うと不思議な気がする。

 比良山地を縦走した場合、当時、サンケイバレイ(現・びわ湖バレイ)や北比良峠までふもとから交通手段を利用してきた軽装の観光客と出会うことになる。

 蛇谷ヶ峰にいく稜線ぞいの道を歩きながら感じた。
蛇谷ヶ峰

 蛇谷ヶ峰(じゃだにがみね)は、滋賀県朽木村(現・高島市)にある標高901.7m(現・901.5m)の山。
 武奈ヶ岳から尾根沿いに行くことになる。当時は途中から山道が定かでなく、茂るササを分けながら進む必要があった。一方で伐採後に植林されたスギの若木が広がっている部分もあった。現在は尾根沿いがコースになっていて、武奈ヶ岳山頂から蛇谷ヶ峰まで約5時間かかる。
蛇谷ヶ峰の方向
 かつても今も、比良山地では武奈ヶ岳より北になると登山者が一気に少なくなり、「この蛇谷ガ峰こそ昔日の比良らしさを今もなお充分にとどめている、残り少ない山域であり、大げさにいえば〝比良の秘境〟でさえもあるのだ」(角倉太郎・阿部恒夫『忘れられた蛇谷ガ峰』「比良─研究と案内─」アルパインガイド49(山と渓谷社、1965年))と評された。
 予備合宿の帰路のルートは、畑バス停─(江若バス)─高島町駅─(江若鉄道線)─浜大津─(京阪京津線)─三条駅─阪急・河原町駅の可能性が高い。
 江若鉄道線は琵琶湖西岸に沿って走っていたが、国鉄(現・JR西日本)湖西線の建設決定に伴って1969年に全線廃止された。
☞1968年7月1日「比良の予備合宿及び帰りに琵琶湖の広々とした湖を見て」

高野悦子「二十歳の原点」案内