高野悦子「二十歳の原点」案内
「二十歳の原点」(昭和44年)
「二十歳の原点」の道のり
1969年 あらすじ
1969年 日記の発見
1969年 立命館学園新聞「高野さんの〝死〟」
1969年 「カッコよ安らかにねむれ─」
1970年 那須文学「特集・高野悦子さんの手記」
1973年 映画「二十歳の原点」
2012年 高野悦子の墓
2012年 母 高野アイさんと会って
遺品 スキー道具 本と自筆のしおり 通学定期券

あらすじ

概略図

 高野悦子は京都の立命館大学文学部日本史学専攻の2年生。中学生の時から日記を付けている。
 1969年1月2日、全共闘による東大安田講堂封鎖で学生運動がピークを迎える中、20歳の誕生日を迎える。

大学2年の写真 1月、栃木県西那須野町の実家から京都・嵐山の下宿に戻り、成人の日の日記に書く。
 ─独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である─
 立命大でも紛争が激しくなり大学本部・中川会館が全共闘によって封鎖される。どう立ち向かうべきか焦りが募っていく。

 2月、大学近くの喫茶店・シアンクレールで音楽を聴きながら思いを巡らす。傍観を止めて自ら行動することを決意し、入試実施を控え騒然としたキャンパスで夜を徹する。
 機動隊が入る事態を目の前にして、ついに全共闘の集会やデモに参加する。

 3月、京都国際ホテルでウエイトレスのアルバイトを始めて、違う世界があることを知る。
 仕事を続けながら、学生運動に関わっていくために、友人が一緒にいる下宿から丸太町御前通近くの部屋での一人暮らしに移る。

 4月、大学3年生になったが、“自分の行動を理解してもらえない”と最大の相談相手だった同級生・牧野との仲を絶つ。
 アルバイト先の男性・中村に恋心を持ち、交際を深める。同じころ、沖縄返還のデモをきっかけに全共闘のバリケードに泊まるようになる。

 5月、中村に別の女がいることを知りショックを受けるが、なかなか諦められない。
 立命大のバリケードは機動隊に追い出され、移った京大では機動隊とのぶつかり合いで警察署に連行される。大学の体制とその下で学生であることを否定し、両親との話合いも物別れになる。

 6月、アルバイト先で今度こそ中村に別れを告げようと思うが、できないままの日々が続く。体を張って取り組んだ全共闘運動に停滞を感じ、行動する熱意がなくなる。
 「人間を信じてはならぬ」と書き、精神がさらに不安定になっていく中、「旅に出よう」という詩を残す。6月23日未明で日記の記述は終わる。

 1969年6月24日、高野悦子は鉄道自殺する。

高野悦子の自殺

日記の発見
死亡後の動き西陣警察署外観

 1969年6月25日(水)朝、栃木県宇都宮市の栃木県庁に出勤した父・高野三郎は、次女の高野悦子が自殺したという電話連絡を地元警察を通じて受けた。
 直ちに京都へ向かい、京都市上京区御前通今小路下ルの京都府西陣警察署(現・上京警察署)で本人の身元を最終確認した。

 6月26日(木)、三郎と、悦子の母・アイは、京都市左京区東大路通近衛上ルの京都大学医学部霊安室で悦子の遺体を引き取り、午後4時から京都市北区大北山蓮ヶ谷町の蓮華谷火葬場(現・京都市中央斎場分場=休止中)でだびに付した。
 「家族と在京の友人たち十数人で涙ながら最後のお別れをしました」(高野三郎『失格者の弁』高野悦子「二十歳の原点」(新潮社、1971年))。この「友人」は三郎の友人を指しており、悦子本人の直接の友人という意味ではない。
 「アイは霊安室で悦子と対面した。アイが買ってあげたワンピースと靴を身につけていた。「いっしょに買ったのですから、よく覚えています。涙も出ませんでした。呆然というか、夢の中にいるようでした。私が至らなくて、あの子にさびしい思いをさせたんじゃないでしょうか」」(臼井敏男『わが娘の「二十歳の原点」』「叛逆の時を生きて」(朝日新聞出版、2010年))
 ※当時の栃木県では通夜・告別式より先に火葬を行う場合(前火葬)が少なくなかった。

 高野三郎とアイは6月26日夜から、京都市中京区下ノ森通丸太町下ルにあった高野悦子の下宿(川越宅)で遺品の整理を始めた。遺書らしいものは見つからなかった。
 「アイが悦子の下宿に行くと、バッグを買うために渡した現金は手つかずのまま筆箱に残っていた」(臼井敏男『わが娘の「二十歳の原点」』「叛逆の時を生きて」(朝日新聞出版、2010年))
 しかし大学ノートなど十数冊に書きつづられた中学2年生からの日記が見つかった。最後のノートには「かるちえ」と題してあった。ノートだけでなく、広告や試験用紙の裏などに書かれた日付入りの文章やメモもあった。
下宿(川越宅)

 悦子が日記を付けていることを三郎は全く知らなかった。アイは気付いていたが中身を見たことはなかった。
 三郎は「涙でかすむ目を拭いながら一気に読み通して愕然となり」「親の私が抱いていた「悦子」と別の人間がそこにいた」(高野三郎『失格者の弁』高野悦子「二十歳の原点」(新潮社、1971年))のだった。徹夜で読んだ。
 親として何も分かってやれなかった自分がつらく、深く反省した。

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