高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)

高野悦子の墓

 高野悦子の墓は、JR東北本線・西那須野駅にほど近い栃木県那須塩原市(旧・西那須野町)東町の宗源寺(そうげんじ)にある。
 宗源寺は曹洞宗の寺院で、1892年に創建された。特徴的な鐘門で、境内には大きなエドヒガンザクラがある。また本堂には本尊として木造白衣観音坐像という18世紀初頭の木像彫刻の仏像が祭られている。
高野悦子の墓地図宗源寺
 墓は、宗源寺の門を入って左奥の路地を進み、住宅の間を通り抜けた先の敷地にある。
 高野家の墓の前には木々が植わっており、一目でわかる。東日本大震災の時には墓石が倒れるなどの被害が出た。
墓への道順墓のある敷地
 ウイスキーとたばこが置かれていた墓誌の前に花を供えた。墓誌は1973年に父・高野三郎が建立した。
高野家の墓墓誌
 「高学院純心法悦大姉 昭和四十四年六月二十四日 悦子 二十才」
 右には母・アイ(存命)、その右には2001年亡くなった父・三郎の名前がある。
戒名
 謹んで、ご冥福を祈った。

 墓の所在は、高野悦子『二十歳の原点序章』(新潮社、1974年)、『二十歳の原点ノート』(新潮社、1976年)の各単行本のカバーそで部分に「墓所は宗源寺」として記されていた。
高野アイさんの死去

「愛の鐘」

 宗源寺の山門は鐘楼と一体化した鐘門になっていて、釣り鐘が設置されている。この釣り鐘は1974年、父・三郎が高野悦子の供養も込めて寄付したもので、「愛の鐘」と名付けている。
鐘門の釣り鐘愛の鐘
 鐘は老子製作所(富山県高岡市)が製作した。老子製作所は、広島平和の鐘(1967年)も手がけた釣り鐘最大手である。
 高野三郎は「菩提寺の墓にも誰しれず花を供えていただいて感謝しておりますが、住職とも相談して、梵鐘を寄進させていただき、朝な夕な「愛の鐘」撞き鳴らしていただくことになりました」(高野三郎「悦子の足跡」『波1974年6月号』(新潮社、1974年))と説明している。

 「地元の宗源寺にある悦子さんの墓には、今も若者が訪れる。中には住職代務の高橋妙綾さん(57)に悩みを打ちあける者もいる。悦子さんの絶筆に「旅に出よう ポケットには一箱の煙草と笛をもち」とあることから、墓にタバコを供えるなど、現代っ子らしい一面はあるが、総じて皆まじめだという」(「何がうける自殺者の日記」『毎日新聞(栃木版)1981年7月5日』(毎日新聞社、1981年))
高野悦子のスキー道具(遺品)

 西那須野駅周辺で『二十歳の原点(ノート)』ゆかりの地を巡る方は、観光自転車を利用するのが便利かつ快適である。
 西那須野観光協会が観光を目的とする人に観光自転車の無料貸し出しをしている。JR西那須野駅東口を出て黒磯方向に歩いて約1分にある那須塩原市営西那須野駅東口自転車駐車場で借りられる。貸し出し時間は午前7時から午後7時まで。
西那須野駅東口自転車駐輪場西那須野観光協会の自転車
 貸し出しにあたっては行き先を告げる必要がある。ただ係員には高野悦子や二十歳の原点を知らない人も少なくない。その場合、ゆかりの地の一つで旧・西那須野町の代表的な観光名所である「烏が森公園」(からすがもりこうえん)の名前を出すといいだろう。
烏が森公園

 高野悦子の墓など現地近くで気軽に昼食の取れる店の一軒として、ここでは「かどや」を紹介する。
かどや

 かどやは、栃木県那須塩原市扇町にあるそば・うどん店である。高野悦子の実家跡の敷地に建つマンションの1階にある。
かどや外観かどや地図
 店のおすすめは「冷やしたぬきそば」(550円、大盛650円、特盛850円)。

 盛られたそばを温かいつけ汁に通して食べる〝つけ麺〟スタイルである。そばが太いのが特徴でしっかりとした歯応えがある。つけ汁には白菜と揚げ玉が入っている。
 写真は大盛で、ボリューム感はかなりあるが、男性客は大盛を注文する人が目立つ。
 メニューにはこのほか、もりそば(550円)、かき揚げそば(600円)、冷やしかき揚げそば(600円)などがあり、うどんにもできる。
 営業時間は午前11時から午後3時まで。地元の有名店のため昼食時は混雑しているが、回転は比較的速い。なお定休日が不定休なので注意する必要がある。
 ※メニューの価格は2013年11月現在。
以前の店地図
 かどやは、以前は那須塩原市役所西那須野支所の交差点の角に店があった。
 そこはかつて旧・西那須野町立東小学校の斜め向かいで、高野悦子からみて父・三郎の先代にあたる高野初蔵が文具店を営んでいた所だった。
後に建設機械会社事務所を経て、かどやになった。
高野悦子の実家

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