高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 1月 7日(火)
 京都の下宿にて

 高野悦子の京都の下宿は、原田方である。
原田方

 朝、父の運転する車で、姉と弟と宇都宮まできて汽車にのる。

 栃木県西那須野町(現・那須塩原市)から宇都宮までのルートは、主に国道4号である。東北自動車道は開通していなかった。
宇都宮駅
 08:19国鉄(現・JR東日本)・宇都宮駅─東北本線(急行・なすの1号)─09:42上野
 前年(1968年)夏に帰省から戻る際に西那須野から乗車した上り列車が満席だった。
☞二十歳の原点序章1968年8月28日「これが青森発で旅行帰りの客で車内はいっぱい」

 北山を背景にした国際会館、その北山のなつかしさ。

 国際会館は、京都市左京区岩倉大鷺町(現・岩倉南大鷺町)の国際会議場、国立京都国際会館である。1966年にオープンした。
国立京都国際会館

 京都駅につき、しみじみと懐かしさを感じた。

 11:00東京─東海道新幹線(超特急・ひかり21号)─13:50国鉄(現・JR東海)・京都駅
京都駅

 これからワンゲルの女の子の新年会に出かける。(五・四五PM)

ワンゲル部

1969年 1月10日(金)
 「展望」や「現代の理論」などを読んですごす。

 展望は、筑摩書房が発行していた月刊誌である。1969年2月号は200円。
 西郷信綱「学問のあり方についての反省」、対談=鶴見俊輔・羽仁五郎「知性の変革のために」、対談=海老坂武・武藤一羊「反知性的知性の可能性」。
表紙展望1969年2月号現代の理論1969年1月号
 現代の理論は、現代の理論社が発行していた月刊誌である。1969年1月号は230円。
 特集=現代イデオロギーの争点、中岡哲郎「70年代の思想現代」、中島誠「現代ナショナリズム批判」、いいだもも「日本共産党におけるイデオロギーの終焉」、平田清明・井汲卓一・前野良・長州一二「社会主義とは何か」、上山春平・松浦玲「明治維新論の再検討」。
 三宅義夫「フラン危機の意味するもの」、カレル・コシーク「実践と総体性」、ジョン・メリトン「グラムシにおける理論と実践の概念」。
☞1969年4月22日「「現代の理論」と「海」を買いました」

1969年 1月15日(水)
 晴 北風の強い気持よい青空の日

 京都:晴時々雪・最低-1.0℃最高5.0℃。最大瞬間風速12.4m、5日ぶりに晴れて、午前中は雲が少なく湿度が低かった。午後からは雲が広がり小雪も舞った。

 ジャーナルや、現代の眼、展望を読んだ。

 ジャーナルは、週刊誌「朝日ジャーナル1969年1月19日号」(朝日新聞社、1969年)である。60円。
朝日ジャーナル表紙朝日ジャーナル1969年1月19日号
 『特集:万国博─国民不在の祭典』…「日本万国博は、70年3月の開催まであと1年あまり。1兆円をこす経費を投入する大事業だ。しかし、きこえてくるのは国威宣揚、企業PRの掛声ばかり。一体だれのための万国博なのか─」。
 『非常事態宣言下の東大』…「1月15日というデッドラインを目前に、東大紛争はあわただしい様相を呈している。だが、問われているのは入試ではなく、教官たちの姿勢であり、ひいては大学制度そのものの改革なのだ」。
 『連載:小国の運命・大国の運命①』…「ソ連とチェコ─おそらくは、取りかえしのきかぬ対立に追いこまれたこの両国を訪れて、あらためて現代国家のあり方を考えてみる」。
 『現代の偶像:アルベール・カミュ』…「揺れ動くこの時代に、不条理と反抗のシンボルとして、カミュは光を増すようにみえる」。
☞二十歳の原点序章1968年12月30日
☞1969年1月31日「「朝日ジャーナル」二月九日号より」

現代の眼1969年2月号 現代の眼は、現代評論社が発行していた月刊誌である。1969年2月号は150円。
 『特集:戦後思想への挑戦』…武谷三男「学生のつきつける問題」、北川隆吉「戦後民主主義とマイホーム主義」、北川透「反ナショナリズム論」、日高六郎・美作太郎「戦後日本の言論と文化」、松田政男「「60年代思想」の光と闇」、福田善之「甦るヒトラーとトロッキー」。
 『特集:キューバ革命10周年』…F・カストロ「社会主義国家の革命的連帯」、板谷翆「「革命」しかないキューバ」、片岡啓治「ゲバラ思想と工業社会」。
 小田実「「歴史を書く」ことと「歴史をつくる」こと」。
 ここ二、三日は「魅せられた魂」を読むのについやされた。

 「魅せられた魂」は、ロマン・ロラン(フランス、1866-1944)の小説「魅せられたる魂」のことである。
☞二十歳の原点序章1968年7月6日「魅せられたる魂」

 久しぶりに現代史の講義に出席した。

 15日は休日(成人の日)にあたるので、講義は14日(火)についての記述である。
 現代史担当講師の師岡佑行(1928-2006)は後に、「たしか「日本史(専攻)の女子学生が山陰線で自殺した」という話を聞いたのは、京大のバリケードのなかであった。話をしてくれた学生は、しかし、それ以上のことは知らなかった」
 「高野さんは私の現代史の講義を受けていた。しかし目立たなかったし、研究室で二、三度顔を合わせる程度しか彼女について知らない」
(『〈大学闘争の敗北の証〉を〝陰画〟で書残した高野悦子』「週刊朝日1972年1月21日号」(朝日新聞社、1972年))と話している。
☞二十歳の原点序章1968年9月16日「現代史」

 試験は明治維新について羽仁、服部、奈良本のその所論について述べさせるらしい。

 羽仁は、歴史学者の羽仁五郎(1901-1983)。「都市の論理」(勁草書房、1968年)がベストセラーになり、全共闘を理論的な面で支援した活動で知られるが、元々は明治維新に関する著書が多い。羽仁五郎は1969年4月23日(水)、当時立命館大学全共闘のバリケード封鎖していた恒心館に来て全共闘を応援する講演を行っている。
 服部は、歴史学者の服部之総(1901-1956)。明治維新に関する研究で知られる。
 奈良本は、当時、立命館大学文学部教授の奈良本辰也。講師である師岡が師事した。
☞二十歳の原点序章1967年4月30日「奈良本先生」

 「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。

 本書の題名となるこの一文は、すでに那須文学社版の時から冒頭に抜粋されている。

 「矛盾に対さない限り、結局のところ矛盾はなくならない。未熟は未熟のままでしかない」
☞1969年1月5日 「小田実」
高野悦子「二十歳の原点」案内