高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 3月25日(火)
 晴 春の近さを感じさせる日

 京都:晴・最低1.4℃最高19.8℃、今年に入って最も気温が上がった

 喫茶店「松尾」で一時間ほど過す。

喫茶 松尾

 喫茶店「松尾」は、京都市右京区(現・西京区)嵐山宮ノ前町にあった「喫茶 松尾」である。喫茶当時からお好み焼と焼きそば等の食事もメニューにしていた。
喫茶松尾地図当時の店の様子
 建て替え後、お好み焼店になったが、現在は休業している。
店の跡

 近くの京都市右京区(現・西京区)嵐山宮ノ前町にはそば店「松尾」もあった。店名表記は後に「松尾そば」になった。
松尾そば外観松尾そば店内
 1968年創業で、店内の様子は当時とほとんど変わっていない。店の人の話によると、原田さんの下宿の女子学生が連れ立ってよく食べに来ていたという。当時は天ぷらそばが180円、きつねうどんが80円で、麺類におでんをセットすることもあったという。当時原田方で下宿していた女子学生たちも、この店で麺類やおでんの食事をしたことを記憶している。
 店の主人は立命館大学法学部出身で、高野悦子の1学年下(1968年入学)にあたる。主人は「自分もシアンクレールなどに入ったことがある。「二十歳の原点」に登場する店は当時の学生がよく行っていた所が多く、高野悦子さんも普通の学生だったんじゃないかな」と話している。
 松尾そばは2016年に閉店した。

 「日本の美」の北海道編と中部編をみる。
日本の美 「日本の美第7巻北海道②さいはての大自然」(国際情報社、1967年)および「日本の美第9巻中部②名古屋と中部山岳」(国際情報社、1967年)は、日本各地の風景をカラー写真と解説で紹介する大型本「日本の美」シリーズの各冊である。
 原始への郷愁、荒野への憧憬。

 「斧を知らぬ太古以来の森林のはてぬつづき、夏なお白い縞の衣をまとう雄偉の山脈、濃藍の透明な湖水、人を拒絶したままの茫洋たる原始の荒野がある」(『さいはての印象』「日本の美第7巻北海道②」(国際情報社、1967年))
 「深い原始の森につつまれて各々に趣の異なるいくつかの湖を集めた阿寒国立公園を抜きにすれば、北海道の魅力は半減しよう」
 「摩周湖からうねうねと蛇行する森林の道、阿寒横断道路を経て、雄阿寒岳東北麓の原始林の中にひそやかに連なる二湖ペンケトウ・パンケトウがある。樹海の中に青く光る2つの湖は、星を地にはめ込んだようなたたずまいをみせ、この湖水は阿寒湖へとそそぐ。四つの美しい島を浮かべ、入江の多い阿寒湖にはマリモを育み、水禽を憩わせるあたたかさがある。それぞれに湖は神々の伝説を秘め、訪れる者の心のかげりをその湖底に沈めているようである。
 湖のもつ静けさ、安らぎといったものが人を誘うのかも知れない。虹色に輝く鏡のような湖面はときに人を拒み、ときにやさしく誘い込む。湖にむき合うとき、人は自然のもつ超然さに俗塵をあらわれ、自らを投影して解脱と安息の一時をうる」
(『森と湖の詩情』「日本の美第7巻北海道②」(国際情報社、1967年))
旅に出よう

 山へのあこがれ、穂高のジャンダルム。新雪の穂高連峰。枯木を映す大正池、おお、北アルプスの山々よ。
日本の美写真ページ  それぞれカラー写真『奥穂高のジャンダルム』『新雪の北穂高』『冷気しみる大正池の朝』(「日本の美第9巻中部②名古屋と中部山岳」(国際情報社、1967年))を指す。

 いつか或る日、山で死んだらあ─

 「いつかある日」は、フランスの登山家・Roger Duplat原詞、深田久弥訳詞、西前四郎作曲の歌。冒頭の歌詞「いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ」からの引用である。「フランスの登山家、ロジェ・デュプラが作った詩。彼はこれを残してほどなく山に死んだというと作ったような話になりますが、ほんとうのことです。山での危険、それは確かに存在するものです」(土橋茂子編著「山のうたごえ」山渓文庫11(山と渓谷社、1962年))
 歌詞は、当時ワンゲル部員が利用していた歌集「WANDERUNG SINGEN」(学生ワンダーフォーゲル会議編)にも掲載されていた。ただこのフレーズが浮んだのは、以下の文章を受けている。
 「穂高は一峰の山ではなく、奥穂高を最高点として、北穂・前穂・西穂などの総称だが、どこから登るにしろ、岩の嶮路をたどらなければならない。岩登りの岩壁や岩稜は全山いたるところにあるが、代表的な場所は、やはり滝谷だろう。山にガスがこめると、縦走路から見下しただけでも、この陰惨な谷の切れ込みは、まさに岩の墓場という言葉を思いつかせる。景観的な印象だけではない。ここでは多くの登攀者が死んだし、いまも犠牲者はあとを絶たないのだ。ある者は岩から落ち、ある者は落石に打たれ、ある者は風雪にやられて(山口耀久『北アルプスの魅力』「日本の美第9巻中部②名古屋と中部山岳」(国際情報社、1967年))
☞1969年4月25日「北ア 滝谷よ」

 ソナチネだの愛の讃歌だの、ショパン、夜想曲。

 ソナチネは、ピアノレッスン用の曲集。愛の讃歌は、シャンソンの名曲。
☞二十歳の原点ノート1966年2月22日「ソナチネ四番を夢中で弾く」
☞1969年2月1日「ショパン・夜想曲」
☞1969年3月30日「愛の讃歌」
☞1969年4月17日「ソナチネ六、九、十二番、」

 笛がほしい。やわらかいあの響き。エディプスの吹いたあの笛の音。
 「恐ろしい神託をうけたエディプスは荒野をさまよう
  青春は何処に
  人生は何処に─」
アポロンの地獄
アポロンの地獄パンフレット 笛は、映画「アポロンの地獄」のラストシーンである現代の場面で出てくる、盲目となったオイディプス(ギリシャ語、イタリア語はエディポ、ラテン語はエディプス)に似た若者が町をさまよいながら吹く、たて笛のことである。

 「アポロンの地獄」(1967年)は、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督のイタリア映画。
 日本ヘラルド映画配給で、京都では1969年3月21日にパレス劇場でロードショウ公開された。当時かなり話題になった作品である。
 笛はリコーダーで、メロディはロシアの曲「同志は倒れぬ」である。
 これについては「そのラスト・シーン、工場街で彼の吹く笛の旋律は、意外にもかつてはわたくしも歌ったことのある革命歌だった。その瞬間、正直なところ、わたしははげしくゆすぶられた」(ふじたあさや『「自己否定」の刃』「朝日ジャーナル1969年3月9日号」(朝日新聞社、1969年))と評論されている。
 なおラストシーンの現代の場面はイタリア・ボローニャで、盲目になったオイディプスが笛を吹く階段は、マッジォーレ広場にあるサン・ペトロニオ教会。
☞1969年6月22日「左手に笛をもって」

パレス劇場
アポロンの地獄  高野悦子が「アポロンの地獄」を見たパレス劇場は、京都市下京区四条通河原町西入ル東宝パレス会館2階にあった映画館。
パレス映画

 FMの朗読で「野火」をやっている。毎日きいている。

 NHK-FM午前10時45分~:朗読「野火」(大岡昇平)/杉沢陽太郎。
☞1969年4月5日「「野火の朗読をきいてから」

 新しい下宿の契約でお金がなくなった。

川越宅

 ぼかあ、学生か。歴史学?日本史専攻?たかのえつこ。

 日記の記述。
 「ぼかあ」は、山本太郎の詩で使われている用語。
☞1969年3月31日「山本太郎の詩」

 「地下生活者の手記」
 「抗議としてのジャズ」
抗議としてのジャズ表紙 ドストエフスキー(露、1821-1881)「地下生活者の手記」(1864年発表)。
 フランシス・ニュートン著山田進一訳「抗議としてのジャズ」(合同出版、1968年)、当時650円。「資本主義文明の最強の地層をつき破ったリズムが全世界を席捲する歴史」。

 「新視角」

 新視角は、映画・テレビのシナリオライターをめざす若者の同人誌。「新視角第2号」(新視角ライターズ、1969年)、当時200円。
 テレビ・映画の批評特集や書き下ろしのシナリオなどで構成。新視角ライターズは、佐東吉宣を代表に「昭和42年6月結成された早大テレビ芸術研究会OB・有志による“土曜会”の発展的解消に伴い、昭和43年1月10日、同メンバー再編成の上、正式に発足」(『新視角ライターズ規約』「新視角第2号」(新視角ライターズ、1969年))した。

1969年 3月26日(水)
 ポカポカした春近き日

 京都:晴、最低6.6℃最高22.6℃。今年に入ってはじめて最高気温が20℃を超えた。

 私の中に存在する他人、それを考えると恐ろしい。
☞1969年3月29日「「私の中に一人の他人がいる」と」

 「知ろうとすることは存在し、知ろうとしないことは存在しない。おまえはおまえ自身を知らない」(パゾリーニ)

 映画パンフレットからの引用である。
 「剣をふりかざしたエディポに向って、スフィンクスはいった。『知ろうとすることは存在し、知ろうとしないことは存在しない。お前は、お前自身を知らないのだ』」(『物語』「アポロンの地獄」パンフレット(大阪映画実業社、1969年))。
 「コミュニストのパゾリーニは、イタリアの、ヨーロッパの、世界の、自分のうちの社会主義運動の現実に、オイディプスの自己否定をひっさげて、明らかにぶつかろうとしているのだ」「わたしは、その自己否定の刃がわたし自身に向けられているようで、見終ってしばらく声も出なかった」(ふじたあさや『「自己否定」の刃』「朝日ジャーナル1969年3月9日号」(朝日新聞社、1969年))

 パゾリーニは徹底したリアリズムで人間の存在を映画で描いた。

 「それにしても、この映像の、どう形容しようもない『リアリズム×様式主義』といった独自の凄味は、パゾリーニからはじまった、という以外、映画の歴史にも、類がなかったものだと思われる」(荻昌弘『「いのち」の映像』「アポロンの地獄」パンフレット(大阪映画実業社、1969年))。

 「私」の中の「他人」
 ゆきずり さすらい
 ぼかあ がんばりますぞぉ。
 日記の記述。
☞1969年4月12日「ゆきずりを拒むものは、…」
 「ぼかあ、がんばりますぞぉ。」は山本太郎の詩からの引用である。
高野悦子「二十歳の原点」案内