高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 6月19日(木)
 雨

 京都:雨・最高22.7℃最低18.7℃。午前9時から午後10時まで雨だったが、夜は弱くなった。

母と買い物

河原町と京都駅 高野悦子は、母・高野アイと6月19日(木)、2人で河原町通に買い物に出た。
 高野アイは、「悦子がねだるので小さな店で薄茶色のワンピースと靴を買ってあげた」(『大学のある街─今出川にわたる風8』「朝日新聞(大阪本社)京都版2006年1月10日」(朝日新聞社、2006年))
 「お母さん、おいしいところがある、と言って、京都駅の近くの店に案内してくれて、カニのわっぱ飯を注文してくれました。お母さん、バッグもほしい、と言われた。もう列車の発車まで時間がなかったので、自分で好きなものを買いなさいと言って、3,000円を渡したんです」(臼井敏男『わが娘の「二十歳の原点」』「叛逆の時を生きて」(朝日新聞出版、2010年))

 高野アイは、「京都駅の改札口まで見送りに来た悦子が「じゃあね、さよなら」と笑顔で小さく手を振った時、「一緒に那須野へ帰ろう」という言葉が出かかった。しかし、悦子の考えを認めると決めたんだとのみ込んだ」(『大学のある街─今出川にわたる風8』「朝日新聞(大阪本社)京都版2006年1月10日」(朝日新聞社、2006年))
高野悦子の自殺(薄茶色のワンピース)

 「ティファニー」にて

ティファニー

 ティファニーは、京都市中京区丸太町通西洞院西入ルにあった喫茶店である。建物や内部の構造は当時のままだが、現在は物販店となっている。
当時のティファニー周辺図
拡大図
☞1969年6月20日「バイト先や「ティファニー」で人間はだれでも疲れているんだなあって」

 「シアンクレール」にて。ホワイトのオンザロックを飲みながら、

ティファニーからシアンクレール
シアンクレール
☞1969年6月7日「買ってきた八四〇円也のホワイトを」
☞1969年3月17日「オンザロックを片手にドストエフスキーとは彼女もニクいね」

 ステーヴ・マーカスのTomorrow never knowsをリクエストして、

Tomorrow Never Knows スティーヴ・マーカス(1939-2005)は、アメリカのジャズ・サキソフォン奏者。
 Tomorrow Never Knows(1968年、ボルテックス・レコード)は、スティーヴ・マーカスのアルバム。フリー・ジャズの手法を生かしながらロックの要素を取り入れている。

 収録曲は以下の通りである。
1. 霧の8マイル(Eight Miles High)…ロックバンド、バーズ(米)のサイケデリックな曲
2. メロー・イエロー(Mellow Yellow)…シンガー・ソングライター、ドノヴァン(英)の曲
3. リッスン・ピープル(Listen People)…バンド、ハーマンズ・ハーミッツ(英)の曲
4. レイン(Rain)…ビートルズ(英)の曲
5. トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ(Tomorow Never Knows)…同じくビートルズの曲
6. ハーフ・ア・ハート(Half A Heart)…オリジナル
 「フュージョン前夜の熱気を伝える作品。マーカスの爆発的なブローも魅力だが、ロック出身のコリエルがジャズの常識では考えられないほどの過激なプレイを繰り広げる。彼の存在感に圧倒される熱い1枚」(「「20世紀ジャズ名盤のすべて」SwingJournal2000年5月臨時増刊(スイングジャーナル社、2000年))。
☞1969年6月21日「ステーヴ・マーカスの何とかいうのをリクエストしたのだが」

 この力強い黒人女(マハリァ・ジャクソン)の歌をききながら目をつぶると

☞1969年6月21日「マハリァ・ジャクソンのゴスペルソングをきき」

 二・三〇・深夜。

☞1969年6月22日「二時三十分、深夜」

1969年 6月20日(金)
 快晴

 京都:曇・最低17.7℃最高29.9℃。日中は雲が少なかった。

 「時には母のない子のように」や「愛の讃歌」…
シングルの表紙  「時には母のない子のように」は、寺山修司作詞・田中未知作曲で、カルメン・マキ(1951-)が歌う曲である。
 同曲シングルは、CBS・ソニーレコード(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)で1969年2月21日発売され、売上62.2万枚、オリコン最高2位。1969年を代表するヒット曲の一つである。
☞1969年3月30日「愛の讃歌」

 バイト先や「ティファニー」で人間はだれでも疲れているんだなあって、
屋上ビヤガーデン
高野悦子「二十歳の原点」案内