高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 6月21日(土)
 十八日以来寝るのは朝うす明るくなったころで、

 京都の6月21日(土)の日の出は午前4時43分。

 その何とかいうやつに「アナーキズム思想史」をおくるのに買いに行こうか行くまいか迷い、ボンヤリする。どちらでもいいのだがおくることにし、買いに行く。

中村

アナキズム思想史本の外箱 「アナーキズム思想史」は、大沢正道「アナキズム思想史─自由と反抗の歩み」増補改訂版(現代思潮社、1966年)のことである。当時500円。
 当時の広告では「アナキズム思想史とは人間の歴史とともに流れる意識の地下水系である。人間の意識には、原始共産制社会の自由で幸福な生活体験の記憶、階級社会での惨烈な解放闘争の記憶が歴史の濾過機にかけられてその底に沈んでいるのだ。アナキズムは人間の自由と反逆の意識の底へ向って重りを降す」。
 「もっと身近な、民衆の素朴な正義感、権力者や金持に対する反感、権力者の手先である役人や軍人、警官に対する不信、平和な生活への愛、生産的な仕事に対する誇り、これらはみな、この潜在的な意識の断片的なあらわれであり、それが存在することの証明でもある。
 こんなものなら、ぼくらの仲間のなかにもいくらも見出すことができる、という人があるかもしれない。その通りなのだ。アナキズムはこのような身近な、民衆がいつも心の底に秘め、時折、爆発的に表現する正義感、平和への愛、自分の仕事に対する誇り、仲間意識などを土台として、その土台の上に組み立てられた思想なのである」(大沢正道『アナキズムとはなにか』「アナキズム思想史─自由と反抗の歩み」増補改訂版(現代思潮社、1966年))
☞1969年6月16日「アナーキズム」

三月書房

 高野悦子が買いに行った書店は、京都市中京区寺町通二条上ルの三月書房の可能性がある。三月書房はアナキズム関係の書籍を扱い、「黒の手帖」も市販していた。
三月書房地図三月書房
☞1969年6月22日②「「黒の手帖」」

 一時ごろ「シアンクレール」にいき、のびにのびて八時までいる。

三月書房から荒神口NEWPORT 1958Count's Rock Band
シアンクレール

 マハリァ・ジャクソンのゴスペルソングをきき、ステーヴ・マーカスの何とかいうのをリクエストしたのだが、それがなかなか掛らなくて。

 マヘリア・ジャクソン(1911-1972)は、アメリカの(黒人)女性歌手。通称「ゴスペルの女王」。アメリカ公民権運動で重要な役割を果たしたことでも知られる。代表的アルバムは、“Live at Newport 1958”。
☞1969年6月19日「この力強い黒人女(マハリャ・ジャクソン)の歌をききながら目をつぶると」
 ステーヴ・マーカスの何とかは、スティーヴ・マーカスの“Count's Rock Band”(1969年、ボルテックス・レコード/ワーナー・セブンアーツ(現・ワーナー・ミュージック・グループ))である。

 ステーヴ・マーカスのトモロウ・ネバ・ノウズのニヒリズムに十九日は感銘

☞1969年6月19日「ステーヴ・マーカスのTomorrow never knowsをリクエストして」

 ステーヴがどのようにスカボローフェアを演じるのかみものだったが、

 スカボロ・フェアは、アルバム“Count's Rock Band”所収の曲である。サイモン&ガーファンクル(米)の曲で、ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」の挿入歌として有名。
 サイモン&ガーファンクルの同曲シングルは、日本ではCBS・ソニーレコード(現・ソニーミュージックエンタテインメント)で1968年9月1日発売され、売上8.5万枚、オリコン最高39位。

 今日私がリクエストしたステーヴの曲は、十四日の夜もかかっていたっけ。

 “Count's Rock Band”は、シアンクレールで当時リクエストが多かったアルバムの一つである。
 日記の記述では14日の夜はバイトをしており、シアンクレールには行っていない。

 雨チャンにびしゃびしゃと濡れながら自転車で帰って何もする気なし。

 21日は午後4時から雨が再び降り出し、午後8時には降水量1.5mmになった。
シアンクレールから下宿

 その何とかいうやつにやる本と手紙をもって、雨の中をどこともなく歩き、途中「リザ」でジャズをきく。

 午後10時ごろに2.5mmまで強くなり、午後11時ごろからは1mmの雨になっていた。
下宿からリザ

リザ

 リザは、京都市上京区千本通丸太町角にあった喫茶店。当時はジャズ喫茶だった。
1972年当時のリザ千本丸太町
 建物は現存せず、空地になっている。
リザ跡

 その何とかいうやつにテレしたが、明日屋上に本をとりにくるということです。

 屋上は、高野悦子がアルバイトをしている京都国際ホテル屋上ビヤガーデンである。
ホテル屋上
屋上ビヤガーデン

 その何とかいうやつへの伝言文に「これは私が信条としたいと思っているアナーキズムについて書いてある本です」と書いたが、

☞1969年6月12日②

 とにかく私は いつも笑っている
 「でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう それでいいのだ
 ただ許されるものなら 最後に 人知れず ほほえみたいものだ」(樺美智子『最後に』「人しれず微笑まん」(三一書房、1960年))。
☞1969年6月15日「樺美智子は国家権力によって虐殺された」
高野悦子「二十歳の原点」案内