高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(2019年)

カバーの花はカーネーションではない

単行本カバーとイラストの花 高野悦子『二十歳の原点』(新潮社、1971年)(単行本と呼ぶ)や高野悦子『二十歳の原点』新潮文庫(新潮社、1979年)(文庫版と呼ぶ)を目にした時に強く印象に残るのがカバーにデザインされたイラストの花である。
 出版界でカバーは「本の顔」と言われるほど重要視される。そこにイラストの花が効果的に描かれている。

 よく見ると単行本では、イラストの花は①カバーの表表紙側、②カバーの背側、③カバー裏表紙側(花びらが青)、さらにカバーを外すと④表紙(花びらが赤、葉が緑、だ円の背景がカーキ)、⑤背(表紙と同じ配色)、さらに本の中で⑥扉(花びらも葉も白)の計6か所にある。
 これに対し文庫版では、イラストの花は①カバーの表表紙側だけだが、単行本よりも上部に配置され、帯がかからないよう工夫して配置されている。

 このイラストの花の種類については、カーネーションの一種と思っている読者が極めて多い。ほとんどと言っていいかもしれない。
 たしかにイラストの花は花びらの柔らかそうな質感や葉の状態からカーネーションに似て見えても無理がない。日本では切り花で花びらの赤い花を代表する一つがカーネーションであるし、5月第2日曜日の母の日に赤いカーネーションを贈ることが広く行われていることもイメージとしてつながりやすい。

 ここで改めて『二十歳の原点』に登場する花についての記述を振り返ってみよう。
1969年 2月 1日(土)
 冬の部屋に花が活けてある
 てっぽう百合、カーネーション、グラジオラス
 宮田隆「いつわりの季節」の引用として、テッポウユリ、カーネーション、グラジオラスが切り花で登場している。
1969年 4月11日(金)
 存心館の横のサクラは開花した花と初々しい若葉のコントラストがはなやか。
 立命館広小路キャンパスにあったサクラ(ソメイヨシノ)を新学期の風景に重ねて描写していて、季節感として扱っている。
1969年 4月23日(水)
 じっくりと汗ばむ陽の光の中に、散りぎみの八重桜が重たく花を咲かせ、
 ここも季節の経過としてヤエザクラの散り始めの様子を表現している。さらに『二十歳の原点序章』では部屋に花がある様子が書かれている。
1967年 9月13日(水)
 カーネーションを買ってきた。淡いピンクと濃いピンクの二本。りんごジュースのあきびんにさして、机の上においてある。
 カーネーションの花は母の日にささげるもの。うちのおかあちゃん、いまごろ何をしているのかな、などとぼんやりしている。

 絵画的な描写で読者にカーネーション、そして母の日との関係が強く焼き付けられることになる。

Perroquet Rouge 赤いパーロット・チューリップ 単行本と文庫本のカバーにデザインされたイラストの花には元になっている原画が存在する。
 ドイツの植物画家・学者、ゲオルク・ディオニシウス・エーレット(Georg Dionysius Ehret, 1708-1770)が1744年にイギリスで描いた作品である。
 題名はフランス語で“Perroquet Rouge”=《赤いパーロット》。描かれた花perroquetはパーロット・チューリップ(parrot tulip)である。

 パーロットはチューリップの品種の一つで、遅咲きで波のような花びらに切れ込みが入るのが特徴になっている。
 原画は上質皮紙に水彩絵の具とガッシュ(不透明水彩絵の具)を使っている。イギリス・ロンドンの国立博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が所蔵・展示している。

 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館によれば、エーレットは最初は庭師として生活し、時間に余裕がある時に植物画を描いていた。《赤いパーロット》は、彼を支援していたドイツ・ニュルンベルクの医師・植物学者、クリストフ・ヤーコブ・トロゥー(Christoph Jacob, 1695-1769)の著書“Hortus nitidissimis”全3巻(1750-1786)に寄せるために描いたイラスト44枚の一つである。
 “Hortus nitidissimis”(ラテン語で「明るい庭」)は園芸植物の花についての解説書である。「一年中素晴らしい花が咲く花壇─最も美しい花々の図鑑─」とサブタイトルがあるように、元々高度な学術目的ではなく花々の美しさを広く紹介する内容になっている。このため写生画である《赤いパーロット》について、ロココ調の丸みをつけるなど強い誇張や装飾した部分を説明しているものとみられるという。

高橋和巳「わが解体」のデザイン埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」のデザイン 単行本と文庫版の装丁はグラフィックデザイナー、杉浦康平(1932-)が担当した。『二十歳の原点』のカバーは《赤いパーロット》を黒い背景に浮かび上がせるデザインにしたと考えられる。
 杉浦康平は単行本初版(1971年5月10日)の前年に装丁した埴谷雄高『闇のなかの黒い馬』(河出書房新社、1970年)で第2回講談社出版文化賞ブックデザイン賞(1971年)を受賞した。
 『二十歳の原点』単行本初版の約2か月前に出た高橋和巳『わが解体』(河出書房新社、1971年)も担当しているが、『わが解体』のデザインはタイトル・文章・モノクロームの背景・イラストからなっており、『二十歳の原点』と構成が共通しているとも言える。
 杉浦康平は『二十歳の原点序章』と『二十歳の原点ノート』でも装丁にあたった。

ヒマワリは原画と左右反転

Le tournesol=ヒマワリ 二十歳の原点序章のカバー 高野悦子『二十歳の原点序章』(新潮社、1974年)と高野悦子『二十歳の原点序章』新潮文庫(新潮社、1979年)のカバーのイラストはヒマワリの花だが、これも原画が存在する。
 17世紀フランスの細密画家、ニコラ・ロベール(Nicolas Robert, 1614-1685)の代表作の一つである。ロベールはフランス王・ルイ14世の宮廷画家としても知られる。
 題名はフランス語で“Le Tournesol”=《ヒマワリ》として扱われている。《ヒマワリ》は貴族間のプレゼント用の手作り詩集“La Guirlande de Julie”=《ジュリーの花輪》(1641)向けのイラストの一つとして描かれた。

 詩集の中でイラストは見出し“L'ELIOTROPE”で登場するが、ヒマワリを意味する(h)eliotropeはフランス古語で、現代フランス語ではtournesolが使われる。また原画の右上部分に小さく書かれた数字“58”は58ページを示している。
 詩集“La Guirlande de Julie”はフランスのガネー・コレクションにあったが、1989年にフランス国立図書館が買い取り、パリのリシュリュー館(旧館)で所蔵している。

 『二十歳の原点序章』のカバーでは原画と左右反転で、全体に色が鮮やかになっている。背景はガネー・コレクション当時の複製画に似た系統の配色になっている。左右反転は意図したものか、参考にした複製画の誤りによるものかわからない。

デューラーの作品がイラスト風に

Violet Bouquet=スミレの花束二十歳の原点ノートのカバー 最後に高野悦子『二十歳の原点ノート』(新潮社、1976年)と高野悦子『二十歳の原点ノート』新潮文庫(新潮社、1980年)のカバーである。多くの読者にとっては花が紫なのでスミレのように見えるが、少し違和感があったのではないだろうか。
 この原画は15世紀から16世紀にかけてのドイツの画家、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471-1528)による1502年ごろの作品である。デューラーは当時のドイツを代表する画家であり、西洋美術史の北方ルネサンスで有名。写実性を植物画でも追求している。
 題名は“Violet Bouquet”=《スミレの花束》と呼ばれており、描かれた花はヴァイオレット(violet)、和名・ニオイスミレである。

オーストリアの美術館・アルベルティーナ ニオイスミレはヨーロッパでは古来より一般的で、観賞用のほか、香りを生かして香水の原料や飲み物、菓子にも用いられている。日本では愛好家以外の者にはなじみが薄い種類のうえ、独特の束ね方をしていることもあり、見た時に少し違和感が生じたと思われる。
 原画は羊皮紙に水彩絵の具とガッシュ。豊富なデューラー作品で知られるオーストリア・ウィーンの美術館、アルベルティーナが所蔵している。

 《スミレの花束》は《赤いパーロット》や《ヒマワリ》のようなイラストではなく、単独の作品である。このため『二十歳の原点ノート』のカバーでは、原画よりも花や葉の色を明るく、また枯れた部分を白くしたりして、全体にみずみずしい感じのイラスト風に仕上げたとみられる。これによって「二十歳の原点」シリーズ3冊のバランスが取れた形になっている。

 ここまでカバーのデザインとなった3つの花を見てきた。いずれの原画も後世に伝わる植物画の優れた作品であることが、若者を中心とした読者に訴える力の源だったことは間違いないだろう。

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