高野悦子をめぐるウワサはいくつかあるが、その一つに高野悦子が死亡当時に妊娠しており、妊娠が自殺の引き金になったというものがある(高野悦子妊娠説)。
結論を言うと、高野悦子が死亡当時に妊娠していたことを示す事実は全くない。これについて彼女の死亡当時の関係者の見方は一致している。
妊娠説は根拠のないデタラメである。
それでは、妊娠説をだれが持ち出して、どのように広まったのか。
ウワサの広まるプロセスを調べているうちに、ある一つの文章が発端として浮んできた。
「遺族によって編まれる本がどれだけすべてを語っているのかわからないが、たとえば彼女が妊娠していたのではないかという想像も、その状況から考えて、ぼくは自分に禁ずることができない」。
雑誌『創1979年11月号』(創出版、1979年)に掲載された作家・塩見鮮一郎氏の「遺稿集の虚構」と題した論稿における高野悦子に関する文章の一節である。
塩見氏の文章は「たとえば」「想像も」「禁ずることができない」という婉曲的な表現で巧みに逃げようとしているが、中身は妊娠説そのものである。
では、この妊娠説を「想像」するにあたって塩見鮮一郎氏は「その状況」をどれだけ調べたのだろうか。
「遺稿集の虚構」を読むかぎり、塩見氏は全く調べていない。取材ゼロである。ただ「二十歳の原点」を読んだ感想、それだけなのである。
にもかかわらず、塩見氏は妊娠説を持ち出した。
この高野悦子を「想像」した塩見氏の妊娠説がウワサの発端となり、多数いる〝高野悦子を知る人〟の中にまで逆流していった可能性が考えられる。
ここでいう〝高野悦子を知る人〟というのは、彼女の死亡当時の関係者とは全く別である。
彼女の自殺に関する事情を直接知りうるのは警察と親族、さらに広くみても立命館大学全共闘と京都国際ホテルのうち死亡直近まで接触のあったごく一部の関係者である。
残りの多数の〝高野悦子を知る人〟は自殺に関する事情を直接知りうる立場にない。
私の取材では、そこにはかなり高い情報の壁があると言ってよい。
もちろん「二十歳の原点」の読者で個人的に、日記にある男女関係の記述から高野悦子の妊娠をイメージした類はこの文章以前にもあっただろう。
しかし、当時に客観性を装った雑誌の文章として妊娠説が掲載されるのとは全く次元が異なっている。ブログやツイッターなどが氾らんする現在とは状況が違うのである。
この文章を発端とするウワサを後から聞いて信じた〝高野悦子を知る人〟、さらにその人から話を伝え聞いた人々は気の毒というほかない。
塩見鮮一郎氏は「遺稿集の虚構」の中で、「二十歳の原点」などに「書かれている言葉が自意識の空転であった」と評価している。
言葉が空転しているのは一体どちらなのだろうか。
☞高野悦子の自殺