定期女子学生大会は、立命館大学の学友会を構成する女子学生の全学的な組織、一部女子学生会の定期大会。女子学生会は民青系の影響が強かった。
元祇園梛神社(もとぎおん・なぎじんじゃ)は、京都市中京区四条通坊城角にある神社である。
「京都にむかえられた牛頭天王が、現在の祇園社に祭祀されるまでに鎮座した場所」(林屋辰三郎『御霊会』「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))と伝えられる。
氏神祭である神幸祭は当時、毎年5月17日に行われていた。現在は5月第3日曜日になっている。祭の露店は、四条通南側を西に向って並ぶ。
京都市壬生隣保館は、京都市中京区西土居通姉小路下ルにあった地域活動の施設。改築され、現在は京都市中京いきいき市民活動センターになっている。
☞京阪京津線
京都:晴・最低14.6℃最高30.9℃。
民青系府学連などで構成する実行委員会主催の第3回未来をつくる京都青年学生集会が5月18日(木)、19日(金)の2日間開かれた。このうち全体集会は19日午後5時15分から京都市東山区の京都市円山公園音楽堂で開かれ、学生や労働組合員など約2,000人が参加した。
集会では蜷川京都府知事と富井京都市長の祝電披露、河田賢治共産党京都府委員長のあいさつのあと、ベトナム人民支援と沖縄返還を柱とする決議を採択した。最後に全員で合唱して午後7時に閉会、その後京都市役所前までデモ行進をした。
立命館大学広小路キャンパスから地域活動へ使っていたルートは、府立病院前停留場-(京都市電河原町線)-河原町丸太町-(丸太町線・西大路線)-西大路三条停留場。
京都市電は1978年までに全路線が廃止された。
ここでいう全学連は民青系(共産党系)全学連のことで、府学連は京都府学連(反民青系)のことである。
☞三つの全学連
☞1967年5月2日「ここで立命館大学全学連はすべて集まり」
京都:晴・最低14.6℃最高31.3℃。
プロゼミは、当時の立命館大学文学部の1年生専攻科目「研究入門」の通称。学部学生向けのゼミを意味するProseminar(ドイツ語)・proseminar(英語)が由来。
当時の大学では、1年生はまず専門科目の前に一般教育科目・外国語科目・保健体育科目を履修するのが基本的なしくみになっていた。しかし一般教育科目は大教室での講義(いわゆるマスプロ教育)が多いうえ、入学して早く専門科目に接してみたいという関心とも合っていない面があった。
このため、新入生のニーズに応じ比較的少人数の教育ができるよう、1年生履修の専攻科目として、立命館大学文学部の場合は各専攻とも「研究入門」4単位を1年生に割り当てていた。
1967年入学の1年生は100人以上いたためプロゼミは五十音順で2クラスに分けて行われ、いずれも教授・北山茂夫が担当した。日記の記述にある「クラス」は、基本的にプロゼミのクラスのことを意味している。
「一般教育、体育、および外国語、若干の専門科目などの学部に共通の諸教科と、4学科9専攻それぞれに特色のある専門科目とを設け、学生諸君の総合的学修を推進すると共に、中学や高校の教員資格取得のために必要な科目なども開講している次第ですが、特にそれぞれの専攻に「研究入門」を1回生の履修指定科目とし、その科目を担当する教師を中心として 、教師と学生ならびに学生相互の意思疎通をはかり、自発的研究態度を助長し、専門学科研究への導入を図ることにしています」(『はしがき』「立命館大学文学部(一部)昭和42年度学修要項」(立命館大学文学部、1967年))。