高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和43年)
1968年2月19日(月)
 東京王子、ヒロ子下宿にて 雨

 2月19日東京:雨・最低0.4℃最高4.4℃。ほぼ一日雨が降った。
☞二十歳の原点ノート1966年7月18日「ヒロ子ちゃんのところ(中野区)に行って遊んできた」
☞二十歳の原点1969年6月1日「姉の家を一銭も持たずにとび出し」

 十一日(日) 田端の牧野さんの家に泊る。

 牧野さんの実家は、国鉄(現・JR東日本)田端駅から徒歩圏内にある事業所兼住宅。
牧野さんの実家跡
 建物は現存せず、マンションが建っている。

 徹夜して書きあげたレポートを速達で北山先生あてに送る。

 日本史研究入門(プロゼミ)について、後期試験に代わるレポート提出だった。教授・北山茂夫の自宅は京都市左京区。
☞1967年5月24日「今日のプロゼミと英語の予習を全然やっていないので」
☞1968年2月10日「レポートづくりをやりたくないが」

 夜になってスキーへ行く用意をバタバタとあわててやり、

高野悦子のスキー道具(遺品)

 新宿二三時三〇分発の南小谷行急行にのる。

 乗ったのは国鉄(現・JR東日本)・新宿発南小谷行の急行「穂高」である。
 信濃森上駅─南小谷駅間が1967年12月に電化されたことを受け、中央本線から大糸線に直通する電車として一等車(現・グリーン車)と二等車(現・普通車)の各指定席・自由席が連結されていた。
国鉄新宿駅6番線ホーム跡急行・穂高で新宿から千国へ
 国鉄・新宿駅6番線(現・12番線)23:00-八王子23:49-大月00:43-01:52甲府02:05-小淵沢03:17-上諏訪04:06-辰野04:28-塩尻04:48-05:02松本05:08-豊科05:21-信濃大町05:47-簗場06:00-神城06:11-信濃四ツ谷(現・白馬)06:17-信濃森上06:22-白馬大池06:27-06:33千国駅。
 岡谷駅~みどり湖駅間の塩嶺トンネル開通は1983年のため、辰野駅に停車している。

 六時三〇分頃千国に着く。あたり一面の雪々。

 千国駅は長野県小谷村千国千国崎(現・千国乙)にある国鉄(現・JR東日本)大糸線の駅。姫川の西側に位置し、周りを山に囲まれている。当時は写真左側のホームだけだったが、1980年代前半に右側のホームを増設した。現在は再び、左側の旧下り本線側ホームのみを用いている。
駅ホームからの眺め
 (参考)2月15日松本:大雪・最低-6.0℃最高-2.8℃、降雪30㎝。
千国駅ホーム駅から民宿まで
 駅前に施設はない。千国駅から美山荘までは3㎞弱の道のりで主に上り坂である。
千国駅前立屋の集落

 八時頃、民宿の美山荘につく。
美山荘

 美山荘は長野県小谷村千国立屋(現千国乙立屋)にあった民宿である。建物は現存する。
民宿の正面美山荘全景
 当時経営していた人の家族によると、元々農業をしていた自宅で1950年代から民宿を始めた。
 当初かやぶきだった建物は屋根を変え、一部2階の構造を総2階建てに改築して広くし、本格的な民宿スタイルにした。また隣接する別棟にも浴室等を配置。当時周辺には民宿が多数点在していたが、美山荘は最も大きい一つだったという。近くにレストランや商店などがなく、宿泊は基本的に食事付きとなった。
 利用したのは関西や東京の大学のサークル・グループが中心で立命館大学も含まれる。特に甲南大学(神戸市)のワンダーフォーゲル部は近くに山小屋を所有していることもあり利用が多かった。各サークル・グループとも人数が多いと美山荘だけでなく周辺の民宿にも分かれて宿泊していた。学生の場合、当初は冬場のスキーが中心だったが、夏に避暑を兼ねた合宿目的で滞在するケースもあった。
 民宿としての営業は1980年代に終えたが、その後かつて利用した人が訪れてきたり、北アルプス周辺の風景画を多く残している画家・奥田郁太郎(1912-1994)が長期滞在して絵画の制作をしたこともあったという。
 現在は団体の施設になっているが、「民宿・美山荘」の看板跡は残っている。
民宿跡美山荘看板

 午後からわらび平のスキー場(吹雪いている中を約一時間、スキーをかついで登る)で滑る。

 美山荘からスキー場までは約1.5㎞の雪道を上った。
民宿周辺の積雪美山荘付近から見たわらび平スキー場
 2月15日(木)は中型台風並みに発達した低気圧が本州南岸を通ったため九州から関東に及ぶ大雪となった。
 終日、長野「県下に降り続いた大雪は、16日未明までに、長野で52センチと23年ぶり、諏訪で35センチと22年ぶりの新雪を記録したのをはじめ各地とも1月の雪としては、戦後1、2番目の雪になった」(「大雪、各地の混乱続く」『信濃毎日新聞昭和43年2月16日』(信濃毎日新聞社、1968年))
 東京都心でも15日午後9時までに13センチの積雪となり、1951年2月15日以来17年ぶりの大雪となっている。
 スキー場へ上るために使ったとみられる道の一部は最近廃止された。
わらび平スキー場への道跡スキー場近くの道

わらび平スキー場

 わらび平スキー場は、長野県小谷村千国蕨平(現・千国乙蕨平)のスキー場である。現在は、白馬コルチナスキー場わらび平ゲレンデになっている。
当時のわらび平スキー場全景
 白馬山麓では最も古いスキー場で、積雪量が多い。当時はリフト(370m)とロープトウ(150m)が各1基あった。ナイター設備はない。現在はペアリフト2基(724m、489m)があり、最大斜度27度・平均斜度14度の初級・中級向けコースになっている。
現在のわらび平スキー場
栗子国際スキー場

 駅、民宿、スキー場の位置関係を整理すると以下の通りになる。
駅と民宿とスキー場の位置関係

 十六日 吹雪。きのうのプルークボーゲンに続いて、斜滑降、シュテムボーゲンの練習。

 (参考)2月16日松本:晴・最高2.8℃最低-10.0℃、降雪7㎝。
 同じ長野県小谷村にある栂池高原スキー場の積雪は15日310㎝、16日330㎝、17日390㎝と報告されている。

 プルークボーゲンはスキーの基本的技術の一つで、スキーの先端を合わせて後ろ端は広くして「ハ」の字型で滑ることをいう。エッジを立てて制動をかけながらターンする。スピードを抑えてコントロールするので、初心者がまず目標とする技術である。
 斜滑降はスキー板をそろえて斜面を斜めに滑ることをいう。斜滑降とプルークボーゲンを組み合わせることで、ほとんどの斜面は滑り降りることができるようになる。
 シュテムボーゲンは主に斜滑降に続いてスキーの後ろ端を開いて「レ」の字型にしてプルークボーゲンの要領で向きを変え、向きを変えたら再びスキー板をそろえて斜滑降を行う方法である。伝統的指導法でプルークボーゲンの次のターン技術に位置付けられている。

 十七日 午前中晴れ。午後少し吹雪く。シュープの練習。

 (参考)2月17日松本:晴・最低-13.2℃最高1.5℃、降雪1㎝。
 シュープもスキーのターン技術の一つ。
☞二十歳の原点1969年1月2日「シュテムクリスチャニヤにあと一息である」

 十八日(日) 快晴。絶好のスキー日和だが、十一時三八分の新宿行で帰る。

千国駅入り口 (参考)2月18日松本:晴・最低-15.8℃最高2.6℃。午前中は快晴。

 帰りに乗ったのは国鉄(現・JR東日本)・南小谷発新宿行の急行「第2白馬」である。電車は一等車(現・グリーン車)と二等車(現・普通車)の各指定席・自由席のほかビュフェ(松本から)が連結されていた。
 国鉄・千国駅11:38-白馬大池11:43-信濃森上11:49-信濃四ツ谷(現・白馬)11:54-飯森11:58-神城12:01-南神城12:06-簗場12:14-海ノ口12:19-信濃木崎12:24-信濃大町12:31-豊科12:58-13:12松本13:20-塩尻13:33-辰野14:00-岡谷14:10-下諏訪14:16-上諏訪14:21-茅野14:28-15:29甲府15:35-山梨市15:51-塩山15:59-大月16:33-八王子17:15-18:05新宿駅2番線(現・8番線)。

 新宿駅-(山手線)-田端-(京浜東北線)-国鉄・王子駅。

 白馬、杓子、鑓の白馬三山を始めとするアルプスの山々が、雲ひとつないあおいろの空にゆう然とそびえていて、

 白馬三山は富山県と長野県にまたがる白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳の総称である。白馬は「しろうま」と読む。
 国鉄(現・JR東日本)大糸線の上り列車の場合、信濃森上~信濃四ツ谷駅(現・白馬駅)間で進行方向右側に白馬三山がよく見える。特に松川橋梁から見える白馬三山は大糸線を代表する車窓風景であり、この付近で見た可能性がある。
松川橋梁地図松川から見た白馬三山

  1. 高野悦子「二十歳の原点」案内 >
  2. 序章1968年1-6月 >
  3. 美山荘 わらび平スキー場