高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(2023年)

京大・企画展「1969年再考」

 「二十歳の原点」で高野悦子が参加した学生運動の舞台の一つに京都大学があった。立命館大学全共闘の活動は京都大学全共闘の動きと軌を一にしていた面があったが、立命全共闘が学内における主な拠点を失ってからは、京大全共闘との活動の一体性はさらに強まった。
 その京都大学で学生運動が最も激しかった1969年を振り返る企画展「1969年再考」が、2023年3月7日(火)から京都市左京区吉田本町の京都大学百周年時計台記念館で開かれた。入場無料。
1969年再考パンフ京都大学百周年時計台記念館外観

 開催期間は当初6月4日(日)までだったが好評につき7月2日(日)まで延長された。

 会場がある百周年時計台記念館は、かつて大学の本部本館で、その前では学生の大規模な集会が連日のように開かれた。
百周年時計台記念館の内部歴史展示室
 企画展を開いたのは京都大学大学文書館。京都大学の歴史に関する資料を整理・保存し公開するための施設として2000年に設置された。
 大学文書館は百周年時計台記念館の歴史展示室で常設展示「京都大学の歴史」を行っている。常設展示には創立期から現在までの写真・文書を中心とした展示、1939年当時の本部構内模型、創立期の京大をCGで示す映像ブースなどがある。
常設展「京都大学の歴史」本部構内再現模型
 その歴史展示室の奥にある一室で今回の企画展が開かれた。京都大学の歴史の紹介の一環でもある。
企画展「1969年再考」入り口案内板
 企画展入り口の案内板やチラシには1969年当時の京大本部・正門付近のバリケードや集会、放水の写真、それに各種のビラや資料が入っている。

「大学とは何か」

展示の様子 展示されたのは、新たに寄贈された資料を含めて当時の資料やビラといった印刷物や写真など計55点。
 最初のパネル『ごあいさつ』で「1960年代後半、パリ五月革命をはじめ、世界各地で同時多発的に学生を主体とする若い世代による騒乱が巻き起こりました。1968年には日本の各大学で激しい学生運動が展開され、京都大学においても1969年は波乱の年となりました。東大闘争、日大闘争に遅れて始まった運動は、瞬く間に広がり、学内は騒然とした雰囲気に包まれました。各所に机や椅子でバリケードが築かれていきます。学生と大学当局との交渉が重ねられ、さらには学生集団同士の争いも起こり多数の負傷者を出すことになりました。
 その一方、バリケードの中で自主講座や反大学の授業が行われるなど、学生自身の主体的な動きも見られました。一過性のものであったかもしれませんが、そこからはほとばしり出る学生のエネルギーを感じとることができます。
 また、教官が学生の問いを受け止め、負傷した学生の救援活動を行うなど、人間的な関係が結ばれる場面も見られました」としたうえで、今回の企画展の狙いとして、コロナ禍の影響で学生同士や教員とのつながりが制限され、大学のあり方が問われる事態に直面している中で、今一度「大学とは何か」を考えるきっかけにしてもらおうとしている。

 展示では『1969年の出来事』として「京都大学でも、1968年2月から医学部で研修医制度をめぐる運動が起こっていた。全学的な紛争の発端となったのは寮問題であり、12月に総長と寮生の団体交渉が行われた。69年1月15日から16日にかけて行われた団交では、3項目要求(無条件増寮、20年長期計画の白紙撤回、財政の即時全面公開)に関する総長の返答に不満を持った寮生らが交渉決裂を宣言し、約200名で学生部を占拠、封鎖した。この学生部封鎖が紛争のはじまりとされる」という発端から、紛争の激化、そして封鎖解除・授業再開まであった「69年は、声を上げ行動に移した学生たちにより大学の存立が揺るがされた年として刻まれている」と位置付けている。
全京大人に訴える討議資料とSTRUGGLE
 学生部封鎖の動きに対して「投石に対する防禦用として緊急にヘルメットを購入配布し、またバリケード強化用資材を提供するなど自主防禦の方針に転じました」と説明する奥田東総長の声明『全京大人に訴える』(1969年2月20日)のほか、京大五者連絡会議事務局(民青・共産党系)『討議資料』(1969年2月20日)と京大全学共闘会議(全共闘)機関紙『STRUGGLE No.2』(1969年2月16日)が横に並べられていた。

☞二十歳の原点1969年2月11日「理事会との間に、自衛という名目で認めた京大方式をとらないという確約を取るということが闘いであるのか」

高野悦子も現われた学生集会とバリケード

時計台前の学生集会 カラー写真『時計台前の学生集会』では「1969年5月15日、全共闘系の学生約300名が時計台前広場で京大総決起集会を開催した。赤いヘルメットをかぶった学生集団の先にある時計台には、「沖縄全面返還を勝ち取ろう!」「大学弾圧立法」と書かれた文字が判読できる。新聞報道や当時配布されたビラなどから、中央教育審議会答申(大学治安立法)反対、破防法粉砕、愛知外相訪米およびアスパック(アジア南太平洋地域閣僚会議)粉砕、沖縄闘争勝利を掲げた学生諸団体が集結したと見られる。同日、学生たちは学生部建物を封鎖した」と説明している。
 学生部の建物は時計台の西側にあった。封鎖作業が進む学生部前で始まった全共闘総決起集会には、高野悦子を含む立命全共闘のメンバーが到着している。
☞二十歳の原点1969年5月17日「十五日 三共闘集会。広小路で集会デモのあと京大へ」

 特に教養部(現・総合人間学部)をめぐる展示は重点が置かれた。カラー写真『教養部表門バリケード』は「実力解除に対する抗議と奥田総長に自己批判を要求して、教養部闘争委員会は1月31日から無期限バリケード・ストに入った。教養部の各門には、机や椅子でバリケードが築かれた」として教養部の構内側から見たバリケードの様子が写っている。
教養部表門バリケード各パネルの場所の位置関係
 『大学当局と学生諸団体の間に立たされた教養部教官』として「以前からも、教養部学生による反戦連合運動が東大全共闘や日大全共闘と接点を持つなど、紛争が起こるきざしがあった。紛争がはじまると、教養部が運動の拠点の一つとなり、8か月余りの間、表門や構内にバリケードが築かれた」こともあり、様々な要求を迫られた教養部の教官が難しい立場で行動をすることになったとしている。

 立命全共闘は1969年5月20日(火)にこの京都大学教養部(京大Cバリ)に間借りする形となり、高野悦子も通うことになる。
☞二十歳の原点1969年5月24日「五・二二 京大泊りこみ」「五・二四 京大にて文闘委の集会」
☞二十歳の原点1969年5月30日「十二時頃京大着」「京大に帰って文闘委の集会」
☞二十歳の原点1969年6月12日「近頃バリケード(京大)にも行く回数が少なくなり(二日に一回)」
☞二十歳の原点1969年6月14日「京大Cバリに泊る」
京都大学教養部(京大Cバリ)

バリサイと法経第一教室
バリサイのパンフレット 一方で学生たちの試みとして『自主講座と反大学』の動きに触れ「学生が運動から離れていく傾向が出始めると、C闘委は新入生をはじめとする学生を、非日常の日常である闘争へ招き入れるためのイベントとしてバリケード祭(「バリサイ」)を企画した。この時期の教養部構内は、C闘委による無期限バリケード・ストが維持されており、バリケード内での「祭」となった」として、入学式が予定された1969年4月11日(金)から1週間以上にわたって企画された「バリサイ」に関するパンフレットも展示した。
 イベントとして作家・小田実、劇作家・寺山修司の講演、作家・高橋和巳などの討論会が組まれ、シンガーソングライターの高石友也や加藤登紀子の公演も企画中などとしている。

☞二十歳の原点序章1968年7月1日「珍しく加藤登紀子の歌をラジオできく」
☞二十歳の原点序章1968年9月28日「寺山修司の『街に戦場あり』を読みながら自慰にふけったりした」
☞二十歳の原点1969年3月8日「小田実「現代史Ⅰ」を読んでいます。高橋和巳にひかれましたので「堕落─内なる荒野」を読みました」
☞二十歳の原点1969年4月11日「高石友也の「坊や大きくならないで」を買う」
☞二十歳の原点1969年4月13日「京大の入学式」

荒れ果てた法経第1教室 展示ではこのほか農学部、医学部での運動や教官の対応についても資料を紹介。さらに本部本館(現・百周年時計台記念館)の建物北側部分にあった大教室である法経第一教室について、今回初めて公開された写真『荒れ果てた法経第1教室』の説明で「1969年2月14日未明、教養部代議員大会の会場として予定されていた法経第1教室で、教養部闘争委員会および全共闘派と教養部自治会のあいだで大規模な衝突が起こった。この衝突は、250名以上の負傷者を出すこととなった。法経第1教室の荒廃は、出来事の悲惨さを物語っている」としている。
 この法経第一教室では修復後も大規模な学生集会が開かれ、1969年6月13日(金)の集会には高野悦子も参加している。
「立命館闘争勝利大報告集会」告知ビラ

 まとめにあたる『大きすぎた代償と大学の制度改革』では「若さからくるエネルギーは創造的な方向へも向かった。しかし惨事を招いたことも忘れてはなるまい。
 熱気のなかにいた人々が向かう先に見ていたのは一体何であったのか。それを再考することは、今を生きる私たち自身をも見つめ直すことになるかもしれない」と締めくくっている。
 企画した京都大学大学文書館の渡辺恭彦助教は「1969年とは京都大学にとって何であったのかを今後も考えていきたいと、思いを新たにしました」(渡辺恭彦「京都大学文書館─企画展「1969年再考」について」季刊『現代の理論2023年春号(デジタル34号)』(現代の理論編集委員会、2023年))としている。

 なお京大の学生運動・大学紛争については、先に紹介した常設展でもパネルでの写真や説明に加え、大学紛争時に発行されたビラ(1969年)複製の展示、「ニュース映像で見る大学紛争-1969(昭和44)年-」のモニターがあり、大学の歴史で滝川事件(1933年)と並ぶ歴史的出来事として扱われている。
大学紛争時に発行されたビラニュース映像で見る大学紛争
 今回の企画展のいずれの資料も京都大学という〝知〟の最高水準にある学生、大学当局、教官らが、対立で高まる熱気の中で事態に正面に向き合った姿をかいま見ることができる。

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