京都:晴・最低12.0℃最高27.3℃。午前中は雲が少なく晴れたが、午後11時ごろから小雨になった。
井上清『戦後日本の歴史』(現代評論社、1966年)である。480円。戦後日本の政治や国際関係について、雑誌『現代の眼』掲載の2論文をベースに大幅な書き下ろしを加えて解説する。「激動の20年を生きた日本国民の歩みをヴィヴィッドに解明し混迷の現代の意味を問う待望の戦後史の決定版」。井上清(1913-2001)は当時、京都大学教授。。NHK-FM5月5日午後0時15分~:ジャズ

「戦後学生運動」は、三一書房編集部編『資料戦後学生運動』(第1巻~)(三一書房、1968~)のことである。この時点で第3巻まで出ている。当時各巻2,800~3,000円。 高野悦子のために父・高野三郎が前年に買ったものである。
☞二十歳の原点序章1968年2月21日「おとうさんが、かっこにはWebsterの辞書と英語の地図をかってくれ」
『資料戦後学生運動』が第1巻が3,000円のため、このような記述になる。
京極通りは、休日の観光客でにぎわっていた新京極通と解される。実際に自転車で本を売りに行ったのは、一本西側を通る寺町通である。
「そのむかしの四条河原のにぎわいは、屏風画にとどめるくらいで、明治以降は新京極に移った。東京極が寺町となり、その寺町の東にそってつくられた新京極は、もとは三条よりの誓願寺前に立並んだ縁日にはじまったものらしい」「新京極が京都の大衆たちの娯楽センターとなったのも、当然であろう」(林屋辰三郎「河原の生活」『京都』岩波新書(岩波書店、1962年))。


☞二十歳の原点序章1968年4月17日「立命から四条まで寺町通りを下って古本屋あさりをした」
ここでいう「御所」は、京都御苑のことを呼んでいる。
京都御苑は、京都市上京区丸太町通烏丸東入ルにある、当時は厚生省(現・厚生労働省)が管理していた公園である。現在は環境省が管理している。

午前中は青空だったが、午後3時ごろは雲が広がり、南西の風6.2m。
京都:晴・最低5.8℃最高26.2℃。午前中は雲が多い時間帯があったが、午後は快晴になった。
この記述にある「資本論」は、カール・マルクス著マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳『資本論』(普及版)全5冊セット(大月書店、1968年)のことである。当時2,500円。☞1969年5月8日「どこかにsomeoneがいつでもいるってね」
買ったのは、石原吉郎『石原吉郎詩集』(思潮社、1967年)。当時1,000円。「サンチョ・パンサの帰郷」、「いちまいの上衣のうた」、「棒をのんだ話」を所収。「シベリヤの強制収容所体験をもちつづけ、孤独な心で不可思議な魅力あふれるうたを織りなす詩人の全詩集を収めた」と紹介された。
「私の意識に常にあったものは、詩における「うた」の復権ということであった」(石原吉郎「あとがき」『石原吉郎詩集』(思潮社、1967年))。
☞1969年3月15日「石原吉郎の詩集を早く手にとりたい」
アルバイトの給料は前日の5月6日(火)に受け取っている。
☞1969年4月24日「あと五〇〇円余円で十日間を暮さねばならぬ」
マルクス著『賃金、価格、利潤』(文庫版)。

京都国際ホテルは客室700人収容だったので、京都の春の観光シーズン中にしては、7日(水)は3連休(5月3日(土)・4日(日)・5日(祝))が終ったあとの平日で、500人だと混んではいなかったという認識になる。