高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(2012年)

母 高野アイさんと会って

 高野悦子の母、高野アイさんは89歳になっている。
 本ホームページ編集人は、2012年12月22日(土)午後、高野アイさんをご自宅に訪ねた。

悦子の像と高野悦子の写真 「こんにちは。すいませんね、遠いところ」。玄関のドアが開いて高野アイさんのおだやかな声が聞こえてきた。
 次の瞬間見えたお顔は、《悦子の像》と並んでいる写真(「揺れる心 二十歳の痛み」『朝日新聞2009年6月19日(夕刊)』(朝日新聞社、2009年))の時とあまり変わらず、色つやも良いように思えた。89歳にはとても見えなかった。身なりの整い方といい、一目で上品な方だと感じた。

 《悦子の像》は栃木県西那須野町(現・那須塩原市)出身の彫刻家・南庄作(1904-1995)が1978年に制作した。

 「腰も曲がったし」「家事はもうまかっせっきりになっていて」。小さないすに腰を下ろした様子は、たしかにゆっくりではあるが、見ているかぎりでは、ご自宅の中で動いている分には不自由のないようだった。
 ホッとした。よかったと思った。

 当時の話をうかがった。あまり語りたくないこともあったようだったが、「わざわざ来てくださって」と、ていねいにお答えをいただいた。ごく短く済まそうと思っていたが、ついつい時間がたってしまった。

 そんなに突っ込んだ質問はしなかった。それでも途中、アイさんは「親でも娘のことを知らなくて。そういうもんなんです」という言葉を何度も口にされた。
 ただ一度、こちらが“おとなしい人だった”という方が多いことを説明している時には、「でも、あの子は生徒会とか活発にしてました」と割って入られた。

 「時間というのはありがたいものです。あんな悲しみは絶対になくならないと思っていたのに、時間が解決するものです」「かつては毎年のように京都に行きましたが、このところもう…」と説くようにしみじみと話された。

 つらかったことを思い起させてしまったのか…と頭をよぎった、その時。
高野アイ アイさんは「あれからずっと、忘れよう、忘れようと時をすごしました。でも最近は逆に、思い出そう、思い出そうとしてるんです」とポツリともらされた。少し救われた。
 そして「命の大切さをわかってほしい」と。

 ご無理を言って、取材ノートにお名前を書いていただいた。

高野アイさんの死去

 高野アイさんは最晩年、栃木県大田原市の高齢者施設で暮らしていたところ、2022年6月19日(日)に老衰のため死去した。98歳だった。
 高野アイさんは1969年6月19日(木)に国鉄・京都駅で高野悦子と最後の別れをしている。
母と買い物

 生前の本人の強い遺志により獨協医科大学(栃木県壬生町)に献体され、遺骨は2023年3月4日(土)に栃木県那須塩原市の自宅に戻った。
 2023年6月7日(水)、近親者による一周忌の法要が行われ、高野家の墓にある墓誌に「令和四年六月十九日 アイ 九十八才」と彫られた。
高野アイさんの墓誌高野アイさんと高野悦子の並んだ墓誌の様子
 心からご冥福を祈った。

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