高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 6月22日(日)②
 机の上に重ねられた「黒の手帖」が淋しげにこちらをみている。「アウトサイダー」は不敵に超然としてこちらをみている。

本の表紙雑誌の表紙 黒の手帖は、大沢正道編集・黒の手帖社発行の、アナキズムに関する論稿を集めた小雑誌である。「黒の手帖第7号」(黒の手帖社、1969年)は、200円。
 1966年創刊の不定期刊行で、郵送による直販、および限られた書店での市販をしていた。
 第7号では、大沢正道『国家─権力による組織の最高型態(3)』ほかアナキズムをめぐる論文・書評等計7本を所収している。
 「70年とか70年代とか、政治的な緊張はますます強まっていくだろうが、政治に思想を従属させていく傾向を警戒したい。大杉栄がかつていったように、「社会運動は、一種の宗教的狂熱を伴うと共に、兎角に欺くの如き奴隷を製造したがるものである。」しかし、「僕等は、如何なる場合にあっても、奴隷であってはならない。」」(『編集後記』「黒の手帖第7号」(黒の手帖社、1969年))
 「二十歳の原点[新装版]」(カンゼン、2009年初版)197頁脚注の「檸檬社発行のサブカルチャー誌…」は、1971年創刊の別の雑誌(前身はプレイパンチ1月臨時増刊号「ブラックユーモア特集─黒い手帖」(1969年))であり、脚注は誤りである。
三月書房
☞1969年4月15日「こわごわと「アウトサイダー」を読んだ」

 「アジア・アフリカ現代詩集」「中国現代詩集」はカッキリと本立てに背すじを伸ばしてこちらを見ている。「山本太郎詩集」は前のめりになって私を招いている。

中国現代詩集の表紙アジア・アフリカ詩集の表紙 秋吉久紀夫編訳「アジア・アフリカ詩集」世界現代詩集9(飯塚書店、1963年)は、アジア、中近東、アフリカの詩人37人の詩集。函入り、480円。
 25の国・領(当時)の短詩41編長詩1編を収めている。
 「アジア・アフリカ圏の詩人たちの自由、平等、独立の叫びは、いまや原初的なひびきを伴って世界中にこだましている」「そしてこのうた声は、従来の世界の、また日本の西欧文学を主流とする文学観に、あたらしい視界をのぞかせつつある」(秋吉久紀夫『アジア・アフリカ圏の詩人たち』「アジア・アフリカ詩集」世界現代詩集9(飯塚書店、1963年))
 秋吉久紀夫編訳「中国現代詩集」世界現代詩集6(飯塚書店、1962年)は、中国の詩人20人の詩集。函入り、400円。
 1920年代以降、文化大革命以前の中国の詩66編を収めている。
 「中国現代詩はいまや処女地を全速力でゆくトラックターに似ている。それは中国のあらゆる地域で、建設の歌声をとどろかせ、団結の力強い合唱を高らかに響かせているのである」(秋吉久紀夫『中国現代詩のあゆみ』「中国現代詩集」世界現代詩集6(飯塚書店、1962年))
☞1969年4月22日「「山本太郎詩集」をいれて」

 「第二の性」は奥深く並んでいるけれど

☞1969年4月9日「「第二の性」を読んだら」

 きのう「シアンクレール」にいたら

シアンクレール
☞1969年6月21日「一時ごろ「シアンクレール」にいき、のびにのびて八時までいる」

 話がはずんでサイクリングに行こうということになった。

☞1969年3月27日「家から自転車が届いた。早速サイクリング」

 琵琶湖にいくことになった。

☞二十歳の原点序章1967年8月9日「合宿、琵琶湖西教寺」
☞二十歳の原点序章1968年2月10日「井上靖『比良のシャクナゲ』『猟銃』をよむ」

 雨の中につっ立って、セーターを濡らし髪を濡らし、その髪の滴が顔に流れおちたところで、どうということはない。

☞1969年6月21日「その何とかいうやつにやる本と手紙をもって、雨の中をどこともなく歩き」

 雨が強く降りだした。

 京都では6月22日午後10時ごろから弱い雨になっていたが、23日午前1時ごろからやや強くなった。

 二時三十分、深夜。

 ダイヤ通りであれば毎晩、下宿近くの国鉄(現・JR西日本)山陰本線を、午前2時20分ころ京都・梅小路発山口・幡生行下り貨物列車(蒸気機関車)が、午前2時35分ころ幡生発梅小路行上り貨物列車(蒸気機関車)が、それぞれ通過している。
☞1969年6月19日「二・三〇・深夜」

 実際の表記は「2:30 深夜」になっている。この6月23日(月)未明をもって日記の記述は終わっている。

 旅に出よう

旅に出よう

 この詩は無題である。編集上、最後に配置された。
 詩が最後に配置されたのは、高野悦子の父、高野三郎が娘の遺志を考慮したためである。
☞1969年2月5日「私は詩が好きだ」「私は詩人になりたいと思うときがある」

 そして富士の山にあるという
 原始林の中にゆこう

☞1969年3月25日「原始への郷愁」

 そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
 暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

 たばこは1969年当時、特殊法人の日本専売公社が国内で独占的に製造と販売(専売)していた。日本専売公社は1985年に民営化され、日本たばこ産業になったが、たばこ事業法によって製造の独占は現在も続いている。
☞二十歳の原点序章1968年12月9日「専売公社が儲けるだけだし」

 原始林の中にあるという湖をさがそう

☞1969年3月25日「原始への郷愁」

 湖に小舟をうかべよう

☞1969年2月18日「ボートに乗るつもりだったが」

 左手に笛をもって
 湖の水面を暗やみの中に漂いながら
 笛をふこう

☞1969年3月25日「笛がほしい。やわらかいあの響き。エディプスの吹いたあの笛の音」

 中天より涼風を肌に流させながら

 「中天より」は、記述では「快よい」。

小山田さん直筆メモ

 日記の記述に登場する小山田さんが、「二十歳の原点」(単行本)から「旅に出よう」の詩を書き写した直筆のメモを関係者が保管していた。

旅に出ようの詩の書き写し 旅に出よう
 テントとシュラフの入ったザックをしょい
 ポケットには一箱の煙草と笛をもち
 旅に出よう

 出発の日は雨がよい
 霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
 萌え出でた若芽がしっかりとぬれながら

 そして富士の山にあるという
 原始林の中にゆこう
 ゆっくりとあせることなく

 大きな杉の古木にきたら
 一層暗いその根本に腰をおろして休もう
 そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
 暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

 近代社会の臭いのする その煙を
 古木よ おまえは何と感じるか

 原始林の中にあるという湖をさがそう
 そしてその岸辺にたたずんで
 一本の煙草を喫おう
 煙をすべて吐き出して
 ザックのかたわらで静かに休もう

 原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
 湖に小舟をうかべよう

 衣服を脱ぎすて
 すべらかな肌をやみにつつみ
 左手に笛をもって
 湖の水面を暗闇の中に漂いながら
 笛をふこう

 小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
 中天より涼風を肌に流させながら
 静かに眠ろう

 そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

 この直筆メモは小山田さんが「朝日新聞(大阪本社)1971年5月22日」(朝日新聞社、1971年)1面下に掲載された「二十歳の原点」(単行本)の書籍広告に高野悦子の名前があることに驚き、その日のうちに同書を買って読み、詩を自分のノートに書き写したものであるとされる。
☞1969年5月26日「小山田さんと飲みにゆく」
高野悦子「二十歳の原点」案内