高野悦子「二十歳の原点」案内
「二十歳の原点」(昭和44年)

50年を機に振り返る立命館大学の動き…国際平和ミュージアム「学生と運動の風景」

 高野悦子がいた立命館大学では1969年に学生運動が最も活発だったと言えるが、それから50年を機に当時を振り返るミニ企画展示が2019年2月9日(土)から3月24日(日)まで行われた。
京都青春時代パート3学生と運動の風景パンフ立命館大学国際平和ミュージアム外観
 行ったのは京都市北区の立命館大学国際平和ミュージアム。この博物館は立命館大学が「平和と民主主義」の教学理念を具体化する教育・研究機関、そして社会への発信をする施設として1992年にオープンした。立命館大学衣笠キャンパスの近くに位置している。
館内に展示されている「わだつみ像」 その理念については「人類は20世紀において、2度におよぶ世界大戦を経験し、幾千万もの命を失いました。しかし、地域紛争は今なお絶えることなく、多くの人びとが生存の危機にさらされています。また飢えや貧困、人権抑圧や環境破壊など人類が共同して解決すべき問題も、多様な形で浮上してきています。わたしたちは、紛争の原因を取りのぞき、人間の可能性が豊かに花開く平和な社会の実現にむけて努力することが求められています。
 立命館大学国際平和ミュージアムは、平和創造の面において大学が果たすべき社会的責任を自覚し、平和創造の主体者をはぐくむために設立されました」(『ミュージアムの理念』「ミュージアム・ガイド」(立命館大学国際平和ミュージアム、2018年))としている。地階のミュージアム入口に向かう階段には「わだつみ像」が展示されている。

 今回のミニ企画展示は第121回にあたり、「京都青春時代パート3-学生と運動の風景-」というタイトル。「1969年前後の日本では、ベトナム戦争反対、安保闘争、大学紛争など、人々がさまざまな「運動」を通じて声をあげ社会を動かそうとしました。当時の若者たちの姿を立命館大学に関わる資料から紹介します」という触れ込みになっている。見学資料費として常設展示も含めて大人400円。
 「京都青春時代」はシリーズとして初回の2012年度に「京都青春時代-学生と戦争の風景-」として1940年代前半の戦争に駆り出される学生の姿を、パート2にあたる2013年度は「-学生と高度経済成長の風景-」で1969~70年頃の学生生活に焦点を当てた展示が行われている。
 企画にあたったミュージアム学芸員・兼清順子さんの説明を受けながら見学した。

ビラを配置した案内板

案内板の周囲にビラを配置 展示室入口の案内板が印象的だ。学生運動の立て看板で使われたような書体のタイトルは、2017年に見た国立歴史民俗博物館の企画展示「1968年」の案内板とイメージが重なった。
 「確かに少し似てますよねぇ」と兼清さんが笑った。「あの歴博の企画展示は調査・見学で行きました。歴博の方も以前こちらに来てべ平連を中心とした特別展をご覧になったことがあります」。
 今回のミニ企画展示の案内板は書体だけでなく、数多くのビラを周囲や床にまで雑然と配置する演出がされている。赤茶けたビラはいずれも当時の立命館大学のキャンパスで配布された実物をカラーコピーしたものだ。
 「当時はビラ、ガリ版刷りのわら半紙が伝達・表現の手段でした。今ならSNSということになるんでしょうけど」(兼清さん)。

歴博・企画展示「1968年」

 展示室には当時の立命館大学の写真や京都の街並の映像をはじめ、学生運動で配布されたビラ、週刊誌や漫画雑誌、当時と現在の学生生活を比較したパネルなど約65点があった。ミュージアムや個人の所蔵品のほか、立命館大学の歴史に関する資料の収集・保存などにあたっている立命館史資料センターの所蔵品が多く含まれている。
ミニ企画展示の様子 展示のはじめに趣旨について、
「1968-69年、世界中で学生による様々な異議申し立て活動が盛んに行われました。脱植民地化と冷戦体制の中でアメリカによるベトナム戦争への抗議、チェコスロバキアの民主化を求めた「プラハの春」、学生自治を求める学生が政府軍によって虐殺されたメキシコなど、世界各地の大学で学生たちは戦争に反対し、旧体制による抑圧からの解放、教育制度の改革などを求めてストライキやデモを続けました。学生による建物の占拠や授業のボイコットといった行動はやがて鎮圧され鎮静化しましたが、今日の学生たちを取り巻く価値観の多くはこの時期に作られました。
 本展では、1968-69年の学生の様子を、京都市内でもとくに激しい「大学紛争」を繰り広げた立命館大学に関する資料を通して紹介します」と書かれている。
 「世界的には1968年ですが、立命館の場合は学生運動が最も盛んだったのは1969年でした。その時から50年、改めて振り返ってみようというのがきっかけです。節目の年に行うことで資料面で協力を得やすいこともありました」(兼清さん)。

立命館大学広小路キャンパス

 全国的な学生運動の高揚で1968年が意識されるのを念頭に置いて、導入にあたる『京都「1968年」』として、
 「1960年代後半、学生たちが熱気の中で繰り広げた学生運動。若者たちは、日米安全保障条約の撤廃やベトナム戦争反対、沖縄・小笠原返還など世界の情勢に目をむけながらも、大学に対して学費の値上げに反対し、大学の管理・運営・研究体制に不満を爆発させていきます。デモ、ストライキ、大衆団体交渉(団交)に始まるその行動は、バリケードによる施設の封鎖、ヘルメットや角材(ゲバ棒)での武装にいたり、徐々に政治闘争化し実力行使に及んでいきました。
 1965年1月、慶應義塾大学での学費の値上げに抗議して全学封鎖が行われ、日本における大学紛争は始まったといわれます。そして1968年、大学の使途不明金問題に怒った学生による「日大闘争」、登録医制度に反対した医学生の誤認逮捕に端を発した「東大安田講堂事件」につながります。京都大学では1969年1月、登録医制度反対運動をきっかけに学生寮の管理などについて団交を求め、学生部の建物が封鎖されました。当時、広小路に位置していた立命館大学も、同じく大学紛争の渦中にありました」と時代背景をまとめている。

立命館「1969」

展示の朝日ジャーナル 立命館大学の当時の状況については、『立命館「1969」』と題して、
 「立命館大学の紛争のきっかけは、「新聞社事件」にあるといわれます。1968年12月12日、『立命館学園新聞』を発行する立命館大学新聞社に9名の入社希望者があり、新聞社側は一旦返答を保留します。これを入社拒否だとする入社希望者が抗議し、新聞社を支援する学生もヘルメットと角材で武装して応戦、小競り合いに発展しました。元々この入社希望者は、学生の自治組織である学友会が『立命館学園新聞』の報道姿勢の是正を求めて申し込んだのでした。この一件の真相究明を求める集会に対抗して開かれた「新聞社への不当介入、学友会一派糾弾集会」の中で、全学共闘会議準備委員会が結成されました。
 一方で、学生寮をめぐる問題も引き金となりました。立命館大学寮自治会連合は、寮費撤廃、水光熱費および食堂人件費の大学負担などを要求していました。1969年1月16日、寮連合(実質的には全共闘)が大学側の交渉委員を閉じ込めて中川会館を封鎖し、立命館大学での大学紛争がはじまりを告げます。この封鎖は機動隊の導入で解除されますが、後期試験の延期や中止、卒業式の一部中止、大学の対応をめぐる教員の辞任という事態をひきおこしました。そして5月、戦没学徒記念像である「わだつみ像」が破壊されるにいたります」という解説がされていた。
 今回のハイライトにあたるコーナーで、大学キャンパスで配布されたビラ、集会と校舎封鎖を中心とした写真などが展示されていた。ビラは全共闘や民青系など様々だったが、写真は全て大学当局側に立って撮影したとみられるものだった。いずれも立命館史資料センター所蔵で、広く言えば大学の判断で当時の記録として入手・保存、取捨選択したものということになるのだろう。たとえば全共闘側で資料価値が有力な「立命館学園新聞」は含まれていない。
 しかし展示は大学当局側のスタンスからではなく、できるだけ客観的に紹介しようとする姿勢に感じられた。
展示の一つである学生新聞 「当時を知らない世代の者が、外国の歴史的事実を扱うように一から調べ直して構成しました。もしかしたら、かつてそれぞれの立場で活動していた先輩方皆さんから“違う”とお叱りを受けるかもしれませんが…」(兼清さん)。

ビラ「文闘委ニュース」

 同じものが手元にあった公刊資料「朝日ジャーナル1969年3月2日号」(朝日新聞社、1969年)と「学生新聞1969年3月12・19日合併号」(日本共産党中央委員会、1969年)[複写]で展示のイメージをここに再現してみた(画像参考)。
 実際の展示では、「朝日ジャーナル」について「東京大学安田講堂闘争から、京都大学、立命館大学へと紛争が「飛び火」したことを京洛の闘争として伝える。立命館大学は、学生参加型の民主的な大学政策を実践して他から賞賛されてきたが、学生側に決定権がなく実質的な民主主義ではなかったとして、全学を巻き込んだ大学紛争につながったのではないかと分析している」、「学生新聞」[複写]について「立命館大学、京都大学の紛争の様子を伝える。客観的状況を伝えているというよりは、封鎖した側の全共闘に対して、批判的な論調である」、と説明が付されていた。

「新人の栞」と高野悦子の“存在感”

 高野悦子を直接扱った展示はなかった。全共闘や集会などを撮影した写真の中にも姿は確認できなかった。
 しかし当時の学生生活を扱ったコーナーに、高野悦子が2年生の時に所属していたワンゲル部(立命館大学ワンダーフォーゲル会)の「新人の栞(しおり)」(1968年)が展示されているのを発見した。上級生が新入部員向けに年間の活動や山小屋の生活、ワンゲル独特の用語などを紹介した小冊子だった。兼清さんに聞いた。
 「この小冊子は1968年にワンゲルに入った高野悦子さんも手に取って見たのは間違いないと思いますね」
 「今回の展示を企画するにあたって高野悦子さんのことも念頭にありました。ただ高野さんを取り上げると、どうしてもそちらにスポットライトが当たりすぎて、展示全体の趣旨が変わってしまうんじゃないかと。
 また当時のことを知るうえで私も改めて「二十歳の原点」に目を通しましたが、あの日記には学生運動だけでなく、20歳の女の子が持ついろいろな思いが書かれているということも気になりました」と言う。
 当時の立命館大学を語る場合、やはり高野悦子の“存在感”は今でも大きいようだ。

ワンゲル部

 学生生活のコーナーは今回の展示のもう一つの柱になっていて、立命館大学の1969年から1970年にかけての生協食堂やキャンパスの女子学生といった写真、それに学園祭の資料など“明るい学園の日常”についてスペースを割いて紹介していた。
 展示の『おわりに』は、「日々の学生生活から政治的選択まで、社会や大学が抱える矛盾に敏感になり、声を上げ、行動しようとしていた様子が浮かび上がります。そこには、時代を変えられると自らを信じて歩んだ若者たちの姿を見ることができるでしょう」と締めくくっていた。
 「ゲバ棒やわだつみ像がクローズアップされますが、“行動”していた人もそうでない人もいたし、荒れたキャンパスだけでなく楽しい生活の様子もありました。その中で問題意識を持って真剣に考える風潮があり、自問自答しながら取り組むエネルギーがあったことを今の立命館の学生や若者に知ってもらい、社会の矛盾と向き合うきっかけにしてもらおうと思いました」(兼清さん)。

 50年という長い時の経過に加えて、立命館大学における1969年は図式があまりにも特殊で、東大や日大といった学生運動の有名ケースと状況が大きく異なる。このため学生や一般向けの企画展示としては詳細な事実や経過を追うより、当時“学生の運動があったこと”“学生の生活があったこと”をまずビジュアルに理解してもらおうと、かなり考えられたのではないかと思う。

 取材にあたって学芸員の兼清さんに大変お世話になり感謝したい。また当方の申し出に対してミュージアム・学生スタッフである文学部学生が機敏に対応してくれたこともありがたかった。

高野悦子「二十歳の原点」案内