高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和42年)
1967年 4月17日(月)
 久しぶりの曇、早く晴れ間がみたいなあ…。

 京都:雨・最低8.2℃最高17.0℃。朝方は弱い雨だったもの、それ以降は曇だった。
 京都では4月12日(水)から日中に雨が降る日が続いていた。

 今日から講義開始。

 立命館大学では4月17日(月)、全学部で1967年度前期を開講した。

立命館大学文学部昭和42年度学修要項

学修要項の実物 本ホームページでは立命館大学文学部(一部)昭和42年度学修要項を入手した。高野悦子はこれに基づいて履修の計画を立てている。提供していただいた関係者の方に改めて感謝する。
 以下、これに沿って履修計画について見ていくことにする。

はしがき
 「諸君を新しくわが文学部の学生として迎えたことを心から嬉しく思います。
 一般に大学における学修の目標は、責任ある社会人として活動するに必要な広い教養をもち、総合的批判的思考力を備えた人格の形成と、それぞれの分野において習得した専門的知識を活用して、新しい課題の解決に努めてやまない態度を養うことであります」(「はしがき」『立命館大学文学部(一部)昭和42年度学修要項』(立命館大学文学部、1967年))

日本史学専攻
 「日本史に入学された諸君には、今さら日本史学習の意義を説くまでもあるまい。然し、高等学校とちがって、大学では、自ら日本史に関して問題を発見し、史料をさぐり、そしてまとめあげる力を養うのが目的とされる。
 その目的を達成するためには、まず日本史全体にわたるたしかな概説的知識をもたねばならない。さらに、日本史をせまい視野から解放して、世界史的に理解するためには、東洋史、西洋史の知識も欠かせない。これらの概説はなるだけ早い回生で履修すべきである。
 また学問の進歩にともなって、歴史学も思想史、美術史などと分化が著しいし、学問の本質や方法についての反省もきびしくなりつつある。一般教育の諸科目や史学概論、史学研究法などは、そのような学問の動向にかんがみても、また広くゆたかな教養を基礎に専門研究を進めるためにも、一二回生のうちにとっておくのがよい。
 このような科目を履修した上で史料や古文書解読の力をつけ、進んで専門的な講義をきき、卒業論文を選択する諸君は四回生の時には卒業論文準備のための充分な時間をとりうるように、それまでにできるだけ多くの単位をとっておくことが望ましい」(「履修方法について」『立命館大学文学部(一部)昭和42年度学修要項』(立命館大学文学部、1967年))
専攻科目 単位 回生
一般史部門 ◎日本史概説Ⅰ
◎同上Ⅱ
4
4
2
2
特殊研究部門 ○日本史特講Ⅰ
○同上Ⅱ
○同上Ⅲ
○同上Ⅳ
○日本史演習Ⅰ
○同上Ⅱ
○同上Ⅲ
◎史料講読Ⅰ
◎同上Ⅱ
◎古文書学
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
3
3
3
2
3
4
4
2
3
3
◎研究入門 4
1
学科共通科目 単位 回生
  ○史学概論
○史学史
○現代史Ⅰ
○同上Ⅱ
○同上Ⅲ
○東洋史概説Ⅰ
○同上Ⅱ
○西洋史概説Ⅰ
○同上Ⅱ
日本思想史
東洋哲学史
東洋史特講
西洋哲学史
西洋史特講
人文地理学
地誌学
歴史地理学
考古学
考古学実習
美学および美術史
日本美術史
日本文学史
中国文学史
古典学
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
2
3
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
(◎は必修科目、○は選択必修科目)

学部共通科目
 「大学は単に就職への登竜門ではない。諸君は、単に卒業に必要な単位を取得して足れりとするような消極的態度に堕することなく、社会のどの分野に出ていっても、主体的、かつ創造的に働らきうる人間としてみずからの形成に努めてもらいたい。
 そのためには、専攻の学問をできるだけ深めつつも、それと相即的に綜合的、現代的視点を確立していく必要がある。学部共通科目が置かれている所以もそこにある。諸君は、それを履修することによって、現代社会や文明の諸問題にも眼を向けるきっかけをつかんでもらいたい。
 そのような現代的視点から自分の専門学修をふり返るならば、諸君はおそらく学問することの今日的意義をつかみうるであろう」(「履修方法について」『立命館大学文学部(一部)昭和42年度学修要項』(立命館大学文学部、1967年))
学部共通科目 単位 回生
  現代思潮
現代史
科学思想史
文学思想史
社会心理学
現代文芸論
比較文化論
4
4
4
4
4
4
4
3
3
3
3
3
3
3
(2科目8単位以上を選択、現代史は史学科を除く)

卒業に必要な単位数
科目別 区分 最低必要単位数 合計必要単位数
一般教育 人文科学系列
社会科学系列
自然科学系列
12
12
12
36以上 140以上
外国語 第一外国語
第二外国語
8
4
12以上
保健体育 講義
実技
2
2
4
専門科目 専攻科目
学科共通科目
学部共通科目
卒業論文
44
24
8
12
88以上

回生別履修計画
 「一回生 一般教育科目の各系列からそれぞれ3科目宛、計9科目36単位を選択履修し、教員免許状を得ようとする者は、法学を必修しなければならない。国語、英語の免許状を得ようとする者は、上記法学のほかに倫理学か哲学を必修しなければならない。
 第一、第二外国語あわせて8単位のほかに、体育講義および体育実技を履修するがよい。また、専門科目では研究入門(一回生履修指定科目)を必修しなければならない」(「履修方法について」『立命館大学文学部(一部)昭和42年度学修要項』(立命館大学文学部、1967年))

 高野悦子の1年生における登録科目は以下の52単位である。
 当時の文学部では登録の上限が、体育実技(2単位)を除いて50単位だった。また一般教育科目で所属する専攻に直接関連した科目(日本史学専攻の場合は歴史学)を選択しても単位は認定されなかった。
[一般教育科目] 36単位
 (人文科学系列)哲学、文学、芸術学
 (社会科学系列)社会科学概論、法学、経済学
 (自然科学系列)自然科学概論、生物学、人類学
[外国語科目] 8単位
 (第一外国語)英語、英語
 (第二外国語)仏語(初級文法)、仏語(初級読本)
[保健体育科目] 4単位
 体育講義、体育実技
[専攻科目] 4単位
 研究入門

 一般教育(人文科学、社会科学、自然科学)、外国語、保健体育といった科目の区分や必修の扱いは文部省(現・文部科学省)の大学設置基準(1956年)で規定されていたが、1991年に大学設置基準の大綱化による規制の緩和で廃止されている。

成績記入欄

 学修要項の最終ページにある成績記入欄は、この段階では以下の通りになる。
成績記入欄

昭和42年度講義題目
 立命館大学文学部史学科日本史学専攻の昭和42年度講義題目(専門科目)は主に以下の通り。
題目 担当
日本史研究入門
日本史概説Ⅰ
日本史概説Ⅱ

日本史特殊講義Ⅰ(古代)
〃Ⅱ(史学史)
〃Ⅲ(近世)
〃Ⅳ(社会経済史)
日本史演習Ⅰ(古代)
〃Ⅱ(中世)
〃Ⅲ(近世)

〃Ⅳ(近世近代)
〃Ⅴ(近代)
日本史史料講読Ⅰ
〃Ⅱ(古代)
〃Ⅲ(中世)
〃Ⅳ(近世)
〃Ⅴ(近代)
古文書学
教授 北山 茂夫
教授 北山 茂夫
教授 前田 一良
専任講師 衣笠安喜
講師 門脇 禎二
講師 藤谷 俊雄
教授 奈良本辰也
講師 原田 伴彦
教授 北山 茂夫
教授 林屋辰三郎
教授 前田 一良
専任講師 衣笠安喜
教授 奈良本辰也
教授 岩井 忠熊
教授 林屋辰三郎
講師 上田 正昭
講師 高尾 一彦
教授 奈良本辰也
教授 岩井 忠熊
講師 永島福太郎
史学概論
現代史
日本思想史
人文地理学概論Ⅰ
〃Ⅱ
日本地誌
歴史地理学
考古学
考古学実習
美学および美術史
日本美術史
日本文学史Ⅰ
〃Ⅱ
古典学
教授 奈良本辰也
講師 師岡 佑行
講師 松浦  玲
助教授 佐々木高明
教授 山口平四郎
講師 浮田 典良
講師 矢守 一彦
講師 藤沢 長治
講師 田辺 昭三
講師 加藤 一雄
講師 赤井 達郎
助教授 北川 忠彦
講師 松井 利彦
講師 生嶋 幹三
現代思潮
科学思想史
文学思想史
社会心理学
現代文芸論
比較文化論
教授 船山 信一
講師 小堀  憲
教授 梅原  猛
教授 後藤金十郎
教授 池井  望
講師 岩田 慶治

 研三での大教室講義。宇女高の講堂で授業をうけている感じ。

 研三は、研心館3階の大教室である。
☞1969年3月8日「恒心館、研心館は全共闘に封鎖され人影もまばらな静かなキャンパスであった」
栃木県立宇都宮女子高等学校

 木村先生は群衆に向かって話しをしているわけだから、個人個人は殆んど眼中にないわけ。そのような講義をうけて群衆の中でひとりいる、ナントナクサビシイキモチ。

 木村静雄は、保健体育担当の教授。教材は木村静雄ほか編『体育実技講義案』(立命館大学体育研究会、1961年)
 立命館大学では1967年度の専任教員一人あたりに対する学生数が平均75人と、他のいわゆるマンモス私大同様に高くなっており、“マスプロ教育”が最大の課題となっていた。

 哲学の船山先生。東北人らしいし、また哲学の先生らしい。

 舩山信一(1907-1994)は、文学部教授で哲学専攻。山形県出身。西田幾多郎をはじめとする明治以降の日本の哲学思想史を研究、『フォイエルバッハ全集』の翻訳で知られる。

 法学の八木先生は宮城ケンジに似ている。

 講師の八木鉄男(1924-1997)は、同志社大学大学院法学研究科教授で法哲学専攻。京都市出身。特にイギリス法哲学についての研究で業績。学生向け著書として『法学講義案』(ミネルヴァ書房、1956年)、『教材法学』(ミネルヴァ書房、1958年)。また金山正信・恒藤武二・服部栄三編『法学入門(改訂版)』(ミネルヴァ書房、1954年)にも執筆があった。
 宮城けんじ(1924-2005)は、主に1960年代後半に人気を博した漫才コンビ「Wけんじ」の一人。写真で見比べるかぎり、八木鉄男と宮城けんじの顔は確かに似ている。またWけんじの相方で伊達メガネをかけた東けんじは、高野悦子と同じ栃木県出身である。

1967年 4月20日(木)
 曇

 京都:曇一時雨・最高19.7℃最低10.2℃。

 歴研のガイダンスがあった。一回生部会や理論部会はまだできていないらしく、それをつくるか否かが、ガイダンスでも持ち込まれ、相当混乱した。

 歴研は立命館大学歴史学研究会のことである。

 「1967年4月とは、日本史専攻の学生のかなりのものが所属する歴史学研究会(歴研)の内部対立が表面化した頃であった。そして、その代々木、反代々木の二大勢力の対立は、日本史全体の、文学部自治会全体の、学内全体の対立でもあった。歴研では、新入生を迎え、執行部の交代をめぐり、正月の臨時総会に向けて、激しいオルグ合戦が展開されたのである。ハイキング、歓迎コンパ、専攻集会等、一回生の集まるあらゆる場が利用された。両派からの○○案なるものが一回生に提示され、考える余裕もなく、その選択が迫られた。この執拗なオルグ合戦を通して、政治的なにおいのする一切のことを、受けつけなくなってしまった新入生もいたにちがいない。そのような状態の中で、困惑しつつも真実を探ろうとしている高野悦子さんを、私は知ったのである。しかし、その後、彼女は、部落問題研究会、女子学生会等で活躍するようになり、私には遠い存在となってしまった」(「高野悦子遺稿集『二十歳の原点』にふれて」『立命館学園新聞昭和46年6月10日』(立命館大学新聞社、1971年))

 探検部の研究は歴史的なものはやっていない。

 探検部は、立命館大学探検部のことである。
 探検部の部室は当時、衣笠キャンパスの以学館地下東側にあり、高野悦子は探検部の部室を訪れて説明を聞いている。

衣笠キャンパス地図以学館
立命館大学探検部OB「私が会った高野悦子」

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