高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 3月11日(火)
 とうとう十日目でアルバイトもダウン。

 前日の3月10日(月)についての記述で始まっている。

 午前中はFMでベートーベンをきいた。「英雄」はよかったが第四交響曲はぴったりしなかった。

 NHK-FM3月10日午前9時05分~:家庭音楽鑑賞「ベートーベン『交響曲第3番“英雄”』」。

 午後買物と用たしに出かけ、あと「シアンクレール」に落着いてしまった。

シアンクレール

 女性ボーカルのThe Sound of Feelingなどはあのときのサイレンの音に自由奔放な野性味を加えた好もしげな音楽であった。ALBERT AYLERのリズムとビートのきいたのもよかった。

 女性ボーカルは、女性2人を中心としたアメリカのグループ、The Sound of Feelingのアルバム“Spleen”(邦題:『サウンド・オブ・フィーリングの世界』)(1969年、Limelight Records/日本ビクター(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント))である。
“Spleen”の収録曲は以下の通り。
The Sound of Feeling1. Hurdy Gurdy Man(5分27秒)
2. Hex(6分08秒)
3. Up into silence(2分02秒)
4. The Time Has Come For Silence(7分40秒)
5. Along Came Sam (The morning of the mutations(4分02秒)
6. The Sound Of Silence(3分34秒)
7. Spleen(2分54秒)
8. Mixolydian Mode(10分28秒)

 ALBERT AYLERのリズムとビートのきいたのは、アメリカのサキソフォン奏者、アルバート・アイラー(1936-1970)のアルバム“New Grass”(1968年、インパルス!レコード/キングレコード)である。
“New Grass”の収録曲は以下の通り。
New Grass1. Message From Albert/New Grass(3分53秒)
2. New Generation(5分06秒)
3. Sun Watcher(7分29秒)
4. New Ghosts(4分10秒)
5. Heart Love(5分32秒)
6. Everybody's Movin'(3分43秒)
7. Free At Last(3分08秒)
 このアルバムも大半の曲にボーカルが入っている。“Spleen”とともに、当時のジャズ喫茶でリクエストが多かったアルバム。
 「アイラーがソウルやロックから触発されて吹き込んだ問題作。ボーカルとコーラスも配して、ある意味で従来の作品よりも判り易い内容になっている。そんなサウンドの中でも本人は相変わらずの強烈なプレイを展開」(「20世紀ジャズ名盤のすべて」『SwingJournal2000年5月臨時増刊』(スイングジャーナル社、2000年))。

 九時、店を出て恒心館に行った。
 寒い吹きさらしのなかでジャムパンをかじっていた。

恒心館地図 恒心館は当時、全共闘が封鎖していた。
 京都の3月10日午後9時の気温は3.6℃。
恒心館

 帰りぎわに「レポート、頑張ってボイコットしてネ」と、いわれたが、一体オラァドウスリャイインダー

 2月26日、「大学は、語学試験を除き一部全学部で試験をレポート提出に切り替えることとした」(「立命館大学における「大学紛争」とその克服」『立命館百年史通史二』(立命館百年史編纂委員会、2006年))
 これに対して全共闘側は、試験強行に代わるレポート提出の強制による闘争弾圧だと主張した。

1969年 3月15日(土)
 「現代詩手帖」の石原吉郎の文にひかれた。生と死、私はこの事についてもっと考えこみたい。石原吉郎の詩集を早く手にとりたい。

現代詩手帖表紙 『現代詩手帖』は、思潮社発行の現代詩についての月刊誌。『現代詩手帖1969年2月号』(思潮社、1969年)は、当時200円。石原吉郎(1915-1977)は、現代詩の詩人。
 「それは、自分自身の死の確かさによってしか確かめえないほどの、生の実感というものが、一体私にあっただろうかという疑問である。
 こういう動揺がはじまるときが、その人間にとって実質的な死のはじまりであることに、のちになって私は気づいた。
 この問いが、避けることのできないものであるならば、生への反省がはじまるやいなや、私たちの死は、実質的にはじまっているのかも知れないのだ」
(石原吉郎「確認されない死のなかで─強制収容所における一人の死─」『現代詩手帖1969年2月号』(思潮社、1969年))
☞1969年5月7日「とうとう買っちゃったんだ」

 「アナーキズムⅠ」を買ってきた。

アナキズムⅠ アナーキズムⅠは、ジョージ・ウドコック著白井厚訳『アナキズムⅠ(思想編)』(紀伊国屋書店、1968年)のことである。当時750円。
 帯では「閉塞の時代に自由を求めて甦る変革の思想─アナキズムは本質的に反政治思想である。あらゆる権威を否定し、自由な個人の結合による未来社会を夢みるこの教義は、人間による人間の統治を拒絶する。社会の根本的変革を志向し、既存社会に全面的批判を投げかけるこの思想の系譜を、著者は、ゴドウィン、シュティルナー、ブルドン、バクーニン、クロポトキン、トルストイの思想のなかに明らかにする」と書かれていた。
 当時の書籍広告では「あらゆる権力の支配を拒絶し、全き個人の自由意志を追求するアナキズム。近代社会の物質主義、画一化に挑戦しつつ、閉塞の時代に不死鳥のごとく甦るこの思想系譜を、本書はプルドン、バクーニン、クロポトキン、トルストイ等の思想の中に探る」。
 「人類社会の究極の理想形態は、といえば、それは疑いもなくアナキズムの社会であろう。プラトンの哲人政治も、サン-シモンのメリトクラシィも、各人の理性に全面的な信頼を置いたアナキズムの理想の前には、色あせた存在である。各人が何らの支配拘束を受けることなく、平等に、しかも各人の自由な合意によって調和を保つような共同社会を、人類は長い間夢想してきた」(白井厚「訳者序言」ジョージ・ウドコック著白井厚訳『アナキズムⅠ(思想編)』(紀伊国屋書店、1968年))
6・12メモ

 フロムの「自由からの逃走」ではないが、自由であることを恐れているのではないか。

☞二十歳の原点序章1968年10月9日「これから読まなくてはならないものは…『自由からの逃走』」

 メイン・ダイニング・ルームに仏人のベルレー(注 映画俳優)に似た人がいた。

 ルノー・ベルレー(仏、1945-)は、映画『個人教授』(1968年)の主演男優。日本ではアイドルのような扱いになった。
個人教授
 ミシェル・ボワロン監督のフランス映画『個人教授』は、いわゆる青春恋愛モノで、東和映画(現・東宝東和)配給、京都ではパレス劇場で4月26日(土)ロードショウ予定だった。 「愛はいつも哀しみをえらぶ、心を灼(や)いて。恋はふりむきながら、去ってゆく─」。
京都国際ホテル

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