(参考)3月3日宇都宮:晴・最低-4.3℃最高9.7℃。
NHKテレビ午後3時15分~5時10分:『劇場中継』(東京・新橋演舞場で録画)「赤ひげ」島田正吾、辰巳柳太郎、緒形拳、大山克巳、若柳菊、香川桂子、野村清一郎、郡司良、清水彰、新国劇
江戸時代に幕府が設立した下層民向け医療施設・小石川養生所をモデルとする小説、山本周五郎「赤ひげ診療譚」を舞台化。
(参考)3月12日宇都宮:晴・最高15.9℃最低0.3℃。朝で雨が上がり、午前中から晴れた。
☞二十歳の原点1969年4月4日「一日に昌之がきて」
☞ギターの写真
(参考)3月14日宇都宮:晴・最低-2.7℃最高13.8℃。最大風速8.5m。
NHKテレビ午後9時40分~10時30分:『NHK劇場』「去年の秋」高橋幸治、村松英子、三津田健、北口千春、諸口旭、表淳夫、伝法三千雄、[原作]新田次郎、[脚本]砂田量爾、[演出]山田勝美
「遠くに新雪をいだいた北アルプスが望める、ひなびた温泉宿で、ベテラン・アルピニストの彼(高橋幸治)は、不思議な女(村松英子)に出会う。初対面なのに、まるで彼を待ちこがれていたように親しく迎え、勝手に彼を〝山本さん〟ときめてしまう。そして、山のお供をしたいと申出る。だが、その夜、彼女は足を捻挫(ねんざ)してしまう。
あくる日、二人は彼女の一方的なことばで上高地での再会を約束して別れる。
ドラマは、山に魅せられた男と、山に恋人を奪われた女の奇妙な〝約束〟を通して、山男の心情を描いていく。作・新田次郎」(「登山家と不思議な女性─NHK劇場「去年の秋」」『朝日新聞1968年3月14日』(朝日新聞社、1968年))。
「山に魅せられた男と、山に恋人を奪われた女の奇妙な〝約束〟を通して、山男の心情を抒情的につづっていく。
北アルプスがそびえる温泉宿で山男(高橋幸治)は一人の女(村松英子)と知り会う。翌日二人は女の一方的な言葉で上高地での再会を約束する。その約束の日、山が荒れて上高地は不気味な空気に包まれた。女は不安と期待を抱いて待ち続けた。荒天をついて無事下山してきた山男の姿を見たとき女の感情は異常なほどたかぶった。
上高地での再会は、去年の秋を再現するための女の芝居だったのだ」(「山男に亡夫の心を求める─「NHK劇場・去年の秋」」『週刊TVガイド3月15日号』(東京ニュース通信社、1968年))。
読んだ紀行文は、新田次郎「えびの高原─地熱に煙る牧歌風景」『旅1966年11月号』(日本交通公社、1966年)である。同誌の特集「第一線作家が憧れた10の「新日本旅行地」」の記事の一つとして書かれた。
「私はつい一ヵ月ほど前に二度目のヨーロッパ山の旅を終って帰って来たばかりなので、この大淀川の色が、どこかヨーロッパ大陸を流れる、大河と相似しているように思われてならなかった。ローヌ河でもなし、ライン川でもない、強いていえば、ドナウ川の水の色に似ていたが、それと同じではなかった」(新田次郎「えびの高原─地熱に煙る牧歌風景」『旅1966年11月号』(日本交通公社、1966年))。
☞1967年7月16日「「旅」八月号「高原植物こそ心の憩い」」
読んでみたいなと思ったのは、新田次郎『富士山頂』(文藝春秋、1967年)である。 当時480円。「富士山頂で銀色に輝くレーダードームのなかに籠められた男の夢と執念を描く本格社会派小説」。発売は1967年12月。
新田次郎(1912-1980)は気象庁測器課長から1966年に作家に転じた。気象庁職員としての最後の仕事で富士山気象レーダーの建設に携わり、その体験を元に『富士山頂』を書いた。登場する人物のほとんどは実在の人物で、経過も当時の記録をたどっており、一種の記録小説である。
☞1968年1月30日「井上靖の『氷壁』を一気に読み通し」
東京12チャンネル(現・テレビ東京)3月13日午後10時00分~30分:『カメラは見た!』「あゝアングラソング」(帰って来たヨッパライ以後)
「「帰って来たヨッパライ」という奇妙な歌がヒットし、いわゆるアングラソングはたいへんなブームを呼んでいる。レコード会社は次のアングラソングを売出そうとけんめいだ。
だが、本来アングラソングは、自分で作った歌を自分で歌うもので商業主義のものではない。「帰って来たヨッパライ」のザ・フォーク・クルセイダーズの育った関西地方には、そうした本当のアングラソング仲間が沢山いるという。
今回は、その一人、土工をしながら自分の歌をうたう青年を中心に、アングラソングの底流をさぐる」(「アングラソングの底流をさぐる─カメラは見た」『朝日新聞1968年3月13日』(朝日新聞社、1968年))。
「松岡和子さん」は仮名である。
☞1967年3月26日「いつもの仲間(サカ、ヤマ、マツ、ニシチャン、トヨ)で」
☞1968年8月10日「終わったあと、マツ、ニシチャン、フウ、そしてヤマも混えて」
高野悦子が部落研で活動していたことは大学入学時に保証人になった人から比較的早い段階で両親に伝わっていたが、両親は活動そのものに反対することはなかった。
1968年2月25日(日)から京都075の市内局番は3ケタ化し、市内局番の末尾に1を付け加えることになっていた。
たとえば従来の電話番号(075)22-1181は(075)221-1181となった。
堀田善衛『インドで考えたこと』岩波新書(岩波書店、1957年)である。
「1956年の晩秋から57年の年初にかけて、第1回アジア作家会議に出席するためにインドに滞在したその間に、インドというものにぶつかって私が感じ考え、また感じさせられ考えさせられたことを、別に脈絡をつけることなくじかに書きしるしてみたものである」(堀田善衛『インドで考えたこと』岩波新書(岩波書店、1957年))。あわせて日本の文明に対する批評にもなっている。
沢田允茂『現代論理学入門』岩波新書(岩波書店、1962年)である。
有史以前にさかのぼる形式論理学の歴史にふれたあと、記号論理学を中心とした現代論理学の考え方を説明している。
50頁までで本文「Ⅰ 論理的な思考とは何か」のうち「1 論理のする仕事は何か」「2 日常言語の意味するもの」「3 記号の働きとはどのようなものか」の3章を読み終えたことになる。
☞二十歳の原点1969年2月18日「今日読んだ本、堀田善衛「キューバ紀行」」
3月25日京都:曇時々雨・最高11.2℃最低5.7℃。
住井すゑ『橋のない川 第一部』(新潮社、1961年)である。
小説家の住井すゑ(1902-1997)が、明治末から昭和にかけての奈良県の村を舞台として部落差別の重圧と闘う村人たちの姿を描いた長編小説の第1巻。シリーズ全7巻で計800万部以上が発行された。
第一部は1959年から1960年まで部落問題研究所の雑誌『部落』に連載されたものを単行本化。「屈辱の日々に耐えて、あかるい明日に夢を描く若者たち!〝部落〟の名に圧しひしがれる人々の、愛と抵抗の姿を捉えた感動の長編」。
「誠太郎」「孝二」は主人公の兄弟であり、その祖母が「ぬい」である。
高野悦子が当時読んだ『橋のない川 第一部』が川越宅の下宿の部屋に残っていた。関係者が保管していた。高野悦子の読書の一端を示す貴重な遺品である。
1961年9月15日発行、1967年7月15日・第18刷、350円。
書籍本来のカバーの上に書店のブックカバーが重ねられ、その上に自筆で「橋のない川 住井すゑ著」とタイトルと著者が書かれている。当時の京都の書店がブックカバーを付けるサービスを行っていたことがわかる。
中の頁に折れや書き込みは見当たらなかった。
しかし、自筆で書かれたしおりが本の背側カバーに挟まる形で残っていた。
このしおりは今回約48年ぶりに発見したものである。
しおりは、岩谷時子作詞・いずみたく作曲で、倍賞千恵子の歌「虹につづく道」を引用している。
シングル『虹につづく道』は、NHK連続テレビドラマ『素顔の青春』の主題歌として、キングレコードで1967年4月10日発売された。
『素顔の青春』はNHKテレビで1967年4月3日から1968年3月29日まで、月─金午後6時30分~45分に放送された。看護学生の世界を描いたドラマである。
サワヤ書房は京都市中京区河原町通蛸薬師角塩屋町にあった書店。昭和初期創業の歴史をもつ比較的小規模の店舗で、主に新刊書籍と雑誌を扱っていた。2000年に閉店した。
建物の構造は現存しているが、現在は雑貨店になっている。ただアーケードの表示には店名の下に「SAWAYA」の名称も書かれている。
☞1967年11月10日「しをかいています」
☞高野悦子のスキー道具(遺品)