高野悦子「二十歳の原点」案内

高野悦子が過した京都の下宿、喫茶店、バイト先…

「二十歳の原点」の現場を取材・調査・研究しました。
立命館大学や学生運動など背景も紹介しています。
読者の方が日記を理解する参考になれば幸いです。

最新情報

2017年11月07日
二十歳の原点1969年2月8日に追い出しコンパ記念写真(眼鏡の写真)を追記しました。眼鏡をした写真が明らかになるのは初めてです。撮影日が1969年と確認できる高野悦子の写真が明らかになるのも初めてになります。
2017年10月20日
1969年2月20日に機動隊捜索の前夜に出会ったワンゲル部上級生「真夜中に入った喫茶店」を追記しました。
2017年09月27日
証言[18]宇女高元生徒会長・まゆみさん「尾瀬キャンプとカッコの思い出」を掲載しました。
2017年07月16日
1968年6月26日に河原町通の書店、6月30日に「比良山地」「武奈ヶ岳」を掲載しました。
2017年06月07日
西那須野での生活1963年B中3東北修学旅行の全3項に追記し、全容を解明しました。
2017年05月25日
1967年5月16日に「クラスコンパ」を追記しました。コンパの様子を撮影した貴重な写真が残っていました。
2017年04月27日
証言[07]杉本君Aに高野悦子作「1964年年賀状」、証言[11]宮原さんに当時資料、1969年1月5日に広小路キャンパス模型を追加しました。
2017年04月12日
1968年6月9日に「平安神宮」「動物園」「上海」を掲載しました。
2017年03月18日
1968年5月23日に「パーワン」「選管の問題」「地図屋」を掲載しました。
2017年02月26日
あらすじ・道のりに「カッコよ安らかにねむれ─」と「立命館学園新聞『高野さんの死=x」を掲載しました。単行本出版の前史の一部です。

はしがき


 本ホームページは、高野悦子著「二十歳の原点」についての研究です。

 同書は1970年代を代表するベストセラーの一つであるとともに、わかりやすく親しみやすい女子学生の文章から、現在もかなりの読者が存在しています。玉石混交ではありますが扱うサイトやブログもすでにあり、それらをご覧になっている方もいらっしゃると思います。

 しかし本ホームページは、それらサイトやブログの大半とは趣きを大きく異にしています。最大の違いは、本ホームページでは「二十歳の原点」の記述や登場する事実、背後関係について可能な限りの確認を行った点です。
 そして自分で書くのもおこがましいですが、確認はかなり高いレベルで行いました。歳月の経過はあまりに大きく、その作業は結果的に困難かつ膨大でした。

 このため従来の一部サイトやブログの内容の説明と食い違う部分があるのはもとより、同書の記述自体と事実関係との相違を指摘したところもあります。
 多くの方にとって、これまで同書を読んでいてわからなかった点や、あるいは知りたかった点を理解する参考になると信じています。

 なお非営利目的とはいえ、著作権尊重の観点から文章や写真等の引用等は最小限にとどめました。引用元は明記してありますので、本ホームページをご覧になった方がご自身で原文等にあたられることを希望します。タイトルに「案内」と名付けたのもそのためです。

 もし本ホームページによって、「二十歳の原点」に残した高野悦子さんの軌跡と、それを公表した故・高野三郎氏の思いが末永く伝わる一助になれば、編集人の望外の幸せです。

 おしまいに本ホームページにはたくさんの方のご協力をいただきました。とくに取材を重ねた京都の方々には、貴重な時間を使って親切に対応していただきました。改めてここに感謝いたします。

 2012年10月 東京・中目黒で 編集人 N. Kitamoto


一年にあたって


 高野悦子「二十歳の原点」案内の開始から一年がたちました。

 この間、予想を超える多数の皆さまにご覧いただくことができました。励ましのメールや鋭いご指摘のメールもたくさん届きました。誠にありがとうございます。
 また全国各地の取材・調査で多数の方々に惜しみないご協力をいただきました。高野悦子さんの生前のご人徳によるものと思いますが、ご協力がなければ本ホームページは成り立ちませんでした。ここに改めて感謝いたします。

 私事になりますが、ことし2月に母が、8月に父が他界しました。編集人はホームページご覧の方の想像より年齢が低く、まさかこの歳で両親とも失うとは思いもしませんでした。命の大切さ、尊さを身にしみて感じました。
 大変恐縮ですが、これに伴って─もともと会社勤めのかたわらという制約はありましたが─執筆作業が遅れております。尽力しておりますが、取材した内容の一部は掲載までかなりのお時間をいただいていることをお許しください。

 その一方で取材をさらに急いで進めることにしています。
 関係者が高齢化しています。たとえば、これまでの取材で、高野悦子さんと同じく1967年春に立命館大学文学部史学科日本史学専攻に入学した105人のうち10人以上がすでに亡くなっていることがわかりました。その中には、日記の記述に登場する人物が複数含まれているほか、最近亡くなったばかりの方も目立ちます。
 今、少し思い上がりかもしれませんが、二十歳の原点の現在の読者はもちろん、将来の読者から「どうしてあの時にできるかぎり取材をした人はいなかったんだ」と言われることのないようにしたいと考えています。

 今後もあたたかいご支援をいただければ幸いです。

 2013年10月 東京・中目黒で 編集人 N. Kitamoto


三年半がたって


 「二十歳の原点」案内は三年半がたちました。

 個人的ですが、一昨年夏に勤め先で配置換えがあり、極めて激務になりました。時間も気力も余裕がなくなり、取材した内容をホームページに掲載するまでかなりの長期間を要する事態になりました。
 しかし、そうした間にも高野悦子さんの関係者の方から連絡をいただいたりお会いする中で、数多くの貴重な当時の情報をいただきました。それらは高野悦子さんが残した軌跡にほかなりません。正確性を十分に確認したうえで、できるだけ生かしていくことを改めて誓いたいと思います。

 そしてホームページでさらに大切にしたいことを2点加えていきたいと思います。 
 一つは女性の観点です。高野悦子さんを間近で見て話していたのは圧倒的に女性です。さらに現在の「二十歳の原点」の読者は女性の方が割合が高くなっています。無意識でも男の一方的な目線になってしまわないよう心がけたいと思います。
 もう一点は、高野悦子さんが“見た風景、暮した世界”と現在との違いを明らかにすることです。スマートフォンや携帯電話はおろか、CDもラジカセもない時代です。私たちが当然と思っていることで当時は事情が異なることについて詳しく触れたいと思います。
 いずれも本ホームページが、あくまで読者の方が日記を理解する参考になることをめざしているためです。

 引き続きご覧いただければ幸いです。

 2016年4月 東京・中目黒で 編集人 N. Kitamoto