高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点ノート(昭和40年)

高2関西修学旅行

 高野悦子は高校2年の秋に修学旅行で関西に行っている。「二十歳の原点ノート」の記述は少ないが、その全体像を関係者から提供いただいた資料を参考に紹介する。


1965年11月 8日(月)
 今日は修学旅行第一日目。一日中汽車の旅だった。

 宇都宮女子高校での修学旅行は、1965年11月9日(火)から12日(金)まで3泊4日の日程で行われた。前年度まで5日間だった日程が短縮されている。近畿日本ツーリスト(現・近畿日本ツーリスト関東)宇都宮支店が担当した。
 「二十歳の原点ノート」では11月8日(月)出発という記述になっている。
 ※当時の宇都宮女子高校は生徒数が多かったため、修学旅行は1学年をA班・B班の2つに分けてスケジュールをずらして行うのが通例になっていた。

 三時半起床、四時にお父さんの車にのる。ゆめうつつで一時間、宇都宮駅につく。

 04:00実家─国道4号(自家用車)─05:00国鉄(現・JR東日本)・宇都宮駅
 下宿から実家に帰っていた。東北自動車道はまだ開通していない。
☞二十歳の原点1969年1月7日「朝、父の運転する車で」
宇都宮駅

 レインコート姿のみんなが集まっている。

 (推定)11月9日午前5時・宇都宮:雨・11.9℃。

 五時半、いや、それより少し遅れて汽車は出発。

 国鉄(現・JR東日本)・宇都宮駅─東北本線─東京
 電車である。1973年まで東北本線の列車の一部は東京駅に乗り入れた。2015年から再び上野東京ラインとして東海道本線との相互直通運転が行われている。
 東京─東海道新幹線─国鉄(現・JR東海)・名古屋駅
 途中停車駅はない。
 近鉄・近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)─名古屋線─山田線─宇治山田駅
 近鉄の改札は名鉄・新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)で行われていた。国鉄からの連絡改札は1969年に開設されたものである。また宇治山田駅は山田線の終着駅だったが、1969年に鳥羽線として五十鈴川駅まで延伸されたため現在は途中駅となっている。
高2関西修学旅行初日新幹線移動近鉄宇治山田駅

伊勢・志摩

 宇治山田駅─伊勢神宮・内宮
 宇都宮女子高校の修学旅行一行は三重交通のバスに乗り換え、最初の見学地として三重県伊勢市宇治館町の伊勢神宮・内宮を訪れた。

高2修学旅行伊勢志摩地図
 ※本項では昼食場所等は省略する。

伊勢神宮記念撮影ポイント

 伊勢神宮・内宮を訪れるにあたって、五十鈴川にかかる宇治橋の手前にある鳥居の前で記念写真を撮影した。
伊勢神宮記念撮影ポイント位置伊勢神宮宇治橋
 三重県伊勢市宇治今在家町にある鳥居は伊勢神宮の行事である式年遷宮に合わせて20年ごとに建て替えられていて、当時の鳥居は1954年に高さ約7.4mで完成した。宇治橋も20年ごとに架け替えられていて、当時の橋は1949年に長さ101.8m・幅7.88m・橋桁5本で完成した。
 記念写真の下部には「内宮 40.11.9」と印字されている。同級生と引率教諭ら計57人が写っていて、高野悦子はジャケット姿で2列目のやや右側にいる。
伊勢神宮記念撮影ポイント位置伊勢神宮での高野悦子の写真
 鳥居と橋の20年サイクルは続き、現在の宇治橋鳥居は2014年に完成した。また宇治橋は1969年の架け替えから8.42mに拡幅され、橋桁も7本に増えた。現在の橋は2009年に完成したものである。

 伊勢神宮・内宮─伊勢志摩スカイライン─御木本真珠ヶ島
宇女高修学旅行伊勢・鳥羽のスナップ

伊勢志摩スカイライン

 伊勢志摩スカイラインは伊勢神宮・内宮付近と鳥羽市を山間部を通って結ぶ有料道路で、1964年10月に開通した。全長16.3㎞で途中に三連屋根で鉄筋コンクリート打放しの朝熊山レストハウスがあったが、現在は解体されている。
伊勢志摩スカイライン

御木本真珠ヶ島

 御木本真珠ヶ島(現・ミキモト真珠島)は三重県鳥羽市鳥羽一丁目にある小島で、観光施設として1951年にオープンした。御木本幸吉が養殖真珠第一号を発明完成したのを記念して真珠島と名付けられた。
当時の御木本真珠ヶ島
 鳥羽港からの専用船で島に渡った。島と対岸とを結ぶパールブリッジは1970年完成である。
現在のミキモト真珠島島内の様子
 御木本幸吉の銅像は1953年に建立された。高さは3.75mある。
1960年代の御木本幸吉像付近の様子同行者が撮影した御木本幸吉像
 真珠と真珠養殖に関する写真や標本などを展示したミキモトパールミュージアムが1962年に、また真珠養殖と真珠加工のプロセスを解説・実演するパールホールが1964年に、それぞれオープンした。現在は建て替えられ、真珠博物館とパールプラザになっている。
当時のパールホールとパールミュージアム
 海女の実演を間近に見る海女スタンドは1961年に開設されていて、毎日40分ごとに海女の潜水作業を実演していた。現在は概ね1時間ごとになっている。
真珠博物館海女の実演

 ここは二見が浦の大安支店(旅館)の四階「乙女」の間である。
旅館大安支店

 旅館大安支店は、三重県二見町荘(現・伊勢市二見町荘)にあったホテルである。
旅館大安支店地図旅館大安支店広告
 三重県伊勢市中之町にあった「大安旅館」の支店として1951年に開業、1964年に鉄筋コンクリート地下1階地上4階(塔屋4階)の近代的設備を整えた別館が完成し、全53室と当時の二見浦地区最大級のホテルになった。

ホテル二見浦島空撮1970年代のホテル二見浦島外観
 1972年に大安旅館が廃業、旅館大安支店はホテル浦島チェーンの「ホテル二見浦島」として運営された。
1970年代のフロント・ロビー旅館大安支店1970年代の客室
 二見町は伊勢市中心部と鳥羽市の中間に位置し、伊勢神宮を参拝する人の宿泊地として発展した。二見浦地区の海岸沿いには旅館・ホテルや土産店が数多く並び、夫婦岩の観光客や海水浴客などに加えて、春と秋は特に修学旅行の団体利用が多く、年中にぎわっていた。
 二見町は2005年に隣接する伊勢市と合併した。
大浴場大宴会場
 近年では高速道路の整備や修学旅行の変化、観光の多様化などによって、二見浦地区は宿泊地として衰退傾向が続いていて、旅館・ホテルや土産店も減少した。
 ホテル二見浦島は1985年に閉館した。建物は取り壊され、現在は駐車場になっている。
旅館大安支店跡旅館大安支店付近の海辺

奈良

 近鉄・宇治山田駅─山田線─大阪線─大和八木駅
 一行は2日目、奈良交通のバスで奈良県と京都府南部の名所・旧跡を巡った。
修学旅行奈良広域地図
 奈良県では法隆寺、薬師寺、唐招提寺、春日大社、奈良公園、東大寺を見学している。

法隆寺

 法隆寺は、奈良県斑鳩町法隆寺(現・法隆寺山内)にある聖徳太子ゆかりの寺院。世界最古の木造建築物が並んでいる。
法隆寺学生拝観券
 「法隆寺は今を去る約1350年の昔、推古天皇と聖徳太子とが共に発願して、用明天皇の奉為(おんため)に建立せられし大伽藍にして、木造建築の世界最古のものとして有名である。そしてその建築には上は飛鳥時代より奈良、平安の両朝を始め、下は鎌倉、足利、徳川に至るまで各時代の粋を集め、国宝及び重要文化財に指定せられたるもの実に49棟を数え、全境内約145,464平方米(44,000坪)の土地を劃している」(「法隆寺畧縁起」(法隆寺、1967年))
当時の法隆寺夢殿
 西院にある金堂、五重塔、東院にある夢殿などを見学した。

薬師寺

 薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町にある寺院。天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈念して発願したのが始まりとなっている。当初は藤原京(現・橿原市)に建立されたが、平城遷都とともに、現在の地に建立された。
☞1965年10月27日「奈良市の西部にあり、法相宗三大本山をなす寺。本尊は薬師如来。天武天皇が高市郡岡本郷に創建したが、元明天皇のころ現在地に移る。建築としては東塔(三重塔)」
当時の薬師寺の様子薬師寺東塔
 東塔や薬師三尊像などを見学した。
 金堂は1976年に建て替えが完成し、西塔が1981年に、中門が1984年に、回廊が1991年に、大講堂が2003年にそれぞれ再建されたことなどもあり、境内は大きく様変わりしている。また東塔は2009年から全面解体修理に入った。

唐招提寺

 唐招提寺は奈良県奈良市五条町にある寺院。中国・唐出身の僧である鑑真が建立した。南大門は1960年に奈良時代の天平様式で再建された。
唐招提寺金堂唐招提寺鼓楼と礼堂
 金堂、講堂、鼓楼などを見学した。講堂にあった仏像は、1970年に完成した新宝蔵に移された。また金堂は2000年から解体修理され2009年に再開した。

春日大社

 春日大社は奈良県奈良市春日野町にある神社。平城京の守護神とされ、藤原氏の氏神でもあった。
当時の春日大社春日大社の中門・御廊

奈良公園記念撮影ポイント

 高野悦子ら一行は、奈良県奈良市春日野町の奈良公園を見学中に記念写真を撮影している。撮影場所は春日大社境内に含まれる芝原地、飛火野付近とみられる。奈良公園は奈良市街の東に広がる自然公園で、1880年に荒廃していた興福寺旧境内に開設された後に範囲が広がり、植樹や整備が進んで現在に至っている。
奈良公園地図奈良公園記念撮影ポイント位置
 現在、奈良公園で修学旅行の記念写真撮影ポイントは東大寺大仏殿前の鏡池だけだが、地元の撮影業者によると、かつては飛火野も撮影ポイントになっていたという。この付近は奈良公園の代表的な風景とされる。
奈良公園記念撮影奈良公園での高野悦子の写真
 記念写真の下部には「奈良公園 1965」と表示されている。計56人が写っていて、高野悦子はコート姿で最前列の左側にいて、目の前に餌を食べるシカがいる。撮影にあたって前面にシカの群れが写り込むように餌がまかれていることがわかる。
 飛火野では、有料で予約すればラッパを吹いてシカを呼び集める「鹿寄せ」を見ることができる。観光客向けの「鹿せんべい」は当時10枚20円だった。
当時の奈良公園のシカ近づいてきたシカ
 奈良公園では1961年の第二室戸台風で「地域内の被害樹木の総本数は100,000本前後、そのうち平坦部で約2,000本」(奈良公園史編集委員会『災害と保護』「奈良公園史(自然編)」(奈良県、1982年)に達したと言われている。奈良公園のシカは1965年度には計943頭だったが、2019年には過去最多の1388頭まで増えている。
宇女高修学旅行奈良のスナップ

東大寺

 東大寺は奈良県奈良市雑司町の寺院で、752年に完成した大仏を本尊としている。南大門から大仏殿にかけては奈良市内観光の中心。現在の大仏殿は1709年に完成し、明治末期から大正初期にかけて解体修理がなされた。
東大寺大仏殿東大寺二月堂
 南大門から入り、大仏殿や二月堂などを見学した。
当時の東大寺大仏東大寺南大門
 大仏殿は1973年から昭和の大修理が行われ、全面的に屋根瓦がふき替えられた。
母が来た奈良へ

 このあと京都府宇治市の平等院を見学した。
宇女高同級生が写した平等院鳳凰堂
平等院

1965年11月20日(土)
 京都が一番よかった。
京都

 3日目にあたる1965年11月11日(木)は京都交通(現・京阪京都交通)のバスで京都市内の寺社などを巡った。
高2修学旅行京都地図
 京都市内では清水寺、平安神宮、銀閣寺、京都大学(車窓)、京都御所、二条城、龍安寺、広隆寺、嵐山、西芳寺を見学している。

清水寺

 清水寺は、京都市東山区清水一丁目にある寺院。1965年、奈良の法相宗から独立して、北法相宗の大本山となった。江戸時代初期に大火となったが、徳川家光の寄進で1631~33年に再建された。堂や塔は、ほとんどこの時期のものである。
清水寺本堂修理前清水寺本堂修理素屋根建設の状態
 有名な清水の舞台がある本堂は、1964年から1967年まで修理工事が行われていた。工事では1965年5月に仮設の素屋根が建設され、1965年10月から屋根の古い檜皮葺の取り外し作業に入っていた。本堂の修理は明治時代以降、7回目にあたった。
当時の清水寺清水寺本堂1986年
 「奠都のころの創建では、延暦17年(798)7月坂上田村麻呂の造立になる清水寺が、ひとり同24年10月に太政官符をもって寺地を賜わり、公認せられたくらいである。これは特別な例で、桓武朝における平安奠都とならぶ二大事績としての蝦夷平定の功を賞してのことであったろう」(林屋辰三郎『護国の寺』「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))
 本堂は2017年から屋根や舞台の修理工事に入っている。

平安神宮記念撮影ポイント

 高野悦子らは平安神宮を見学中に記念写真を撮影している。撮影場所は平安神宮の応天門(表門)を入って正面の龍尾壇前である。
平安神宮付近地図平安神宮龍尾壇
 記念写真の下には「平安神宮 40.11.11」とある。高野悦子はコート姿で最前列中央にしゃがんでいる。バックには左から白虎楼、神苑入口、「右近の橘」、大極殿の一部などが写り込んでいる。
平安神宮記念撮影平安神宮での記念写真
 「右近の橘」は初代が平安神宮創建の1895年に植えられたが1961年の大寒波で枯れ、1961年5月に植え替えられた二代目になっていた。
平安神宮

銀閣寺

 銀閣寺は、京都市左京区銀閣寺町にある寺院の通称である。正しくは慈照寺という。室町時代後期の東山文化を象徴する代表的寺院である。
銀閣寺総門当時の銀閣寺
 「ここは今から約480年前(文明14年)将軍足利義政公が相阿弥に命じて造営された山荘の跡であります。当時は境内も広大で山腹には12棟の風雅な建物が点在し東山殿として豪壮なものでありましたが、現在では銀閣と東求堂の2棟が残存されております。
 この庭は相阿弥の作で配置されてある沢山な巌石は各地の大名よりその領地の名石を献納したものでこのように沢山な名石が蒐集されている庭園は他に類がないので有名であります。この庭を四方正面の庭と申しまして、廻遊式庭園の起りであります。池の名は錦鏡池と申します。
 中央の砂盛を銀沙灘と申します。形を支那の西湖になぞらえ砂上の筋は波の趣を現わしたもので、月がこの砂盛に反射して夜の庭を明かるくするために造られたものであります。富士形の砂盛を向月台と申しまして、義政公月見台の跡であります。
 左右の高い繁った山を月待山と申します。
  我が庵は月待山の麓にて かたぶく空の影をしぞ思ふ  義政」(「銀閣とその庭園」(銀閣寺、1967年))
銀閣とその庭園慈照寺拝観券
 「義政は山荘に銀閣をつくり、東求堂を建てたが、その東求堂の居室に名づけた同仁斎の号のように、阿弥たちは一視同仁の雰囲気のなかで立派な仕事をなしとげた」(林屋辰三郎『茶と花』「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))

銀閣寺スナップ写真ポイント

 高野悦子は銀閣寺を見学中にスナップ写真を撮っている。撮影場所は錦鏡池(きんきょうち)の南東側である。
銀閣寺境内図東求堂
 背景には東求堂(とうぐどう)が写っている。東求堂は銀閣寺の東北角にある建物で、足利義政の木像が置かれ、四畳半の部屋は後の茶室の模範になったとされている。1964年から1965年にかけて解体修理が行われたばかりだった。

銀閣寺スナップ写真銀閣寺でのスナップ写真

 バスのガイドさんが京大の校歌を歌いながら説明してくれた京大の建物。
京都大学

百万遍交差点 京都大学は、京都市左京区吉田本町に本部がある国立大学。1897年、東京に次いで創立された京都帝国大学を前身とする。理学・法科・医科・文科などからなる総合大学として発展し、第二次世界大戦後に京都大学と改称された。京都市左京区一帯に広い敷地をもつ。
 「京都大学は、東京大学に対抗して学問の一中心となる地歩を、最初から負わされたのである。東京が政治の中心にあって、官吏養成の場となってしまったのに対して、京都では政治にとらわれない自由な天地にあって、真理を探究し学問を研鑽する学府をつくり出そうという意図があった」(林屋辰三郎『大学物語』「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))
 バスが付近を通る際に車窓から見学した。
 京都大学学歌の歌詞1番は「九重に花ぞ匂へる 千年の京に在りて その土を朝踏みしめ その空を夕仰げば 青雲は極みはるかに われらのまなこをむかえ 照る日はひかり直さし われらのことばにうつる」。
学歌は1940年に制定された。
京大に機動隊

京都御所

 京都御所は、京都市上京区中立売通烏丸東入ル京都御苑にある宮内庁の施設。東西250m・南北450mで高い築地塀に囲まれている。周囲を含めた公園、京都御苑の中にある。
京都御所空撮当時の京都御所
 「京都御所は、南北朝時代に光明院の里内裏が皇居と定っていらい、現在の場所にあったが、天明8年(1788)正月30日に起った大火によって、京都市内の大部分とともに焼失してしまった」「大火後、幕府は松平定信に命じて御所の造営にとりかかった。定信は有職の学に通じていたので、十分慎重に研究を重ね、王朝の旧規に近づくことを理想として設計かつ造営した。そして寛政2年(1790)11月に完成したのである」「この御所は、その後また一度火災を蒙ったが、維新の風雲を前にした安政3年(1856)に、寛政の時のままに再造営されたのである」(林屋辰三郎『御所のともしび』「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))。皇太子関係の儀式を主な目的とする建物である小御所は1954年に鴨川の打ち上げ花火によって焼失し、1958年に再建された。
 京都御所の参観は、春秋の特別拝観のほかは事前申し込みが必要だったが、2016年7月から一年を通して申し込み手続き不要の「通年公開」となっている。
 二十歳の原点に登場する「御所」は京都御苑のことである。
☞二十歳の原点1969年5月5日「御所で一服」
☞二十歳の原点1969年5月17日「御所で十一時ごろまで話す」
☞二十歳の原点1969年6月2日「御所で二回あい」
二条城

高野悦子「二十歳の原点」案内