高野悦子「二十歳の原点」案内

高野悦子が過した京都の下宿、喫茶店、バイト先…

「二十歳の原点」の現場を取材・調査・研究しました。
立命館大学や学生運動など背景も紹介しています。
読者の方が日記を理解する参考になれば幸いです。

[15]レッドを借りた隣室・八木さん
[20]高3で下宿仲間の同級生「階段で話した将来」
[21]仕事にいく途中会った・梅沢さん(準備中)

最新情報

2018年12月02日
二十歳の原点序章1968年9月19日に桂川の河原、9月22日に「チボー家の人々」、9月28日に「街に戦場あり」を掲載しました。
2018年11月02日
1969年4月11日「京都ホテルコーヒーパーラー」に資料を追加、宇都宮で1965年に「黒瀬菓子店(“宇女高喫茶”)」を追記しました。
2018年10月21日
証言[20]高3で下宿仲間の同級生「階段で話した将来」を掲載しました。
2018年07月18日
1969年3月16日「京都国際ホテル」と1969年6月14日「国際ホテル屋上ビヤガーデン」に当時の写真等を追加しました。
2018年06月04日
序章1967年4月9日に大学入学記念写真を追記しました。
2018年05月24日
取材ノート・かるちえに「韓国語版の発売」を掲載しました。
2018年04月24日
証言[19]行って失敗された・永井さん「遺影に供えたユリの花束」を掲載しました。
2018年03月08日
1968年8月4日に夏合宿(写真)、8月10日に「マスキン」を掲載しました。
2018年01月30日
1968年5月6日に新人合宿(写真)を追記しました。

はしがき


 本ホームページは、高野悦子著「二十歳の原点」についての研究です。

 同書は1970年代を代表するベストセラーの一つであるとともに、わかりやすく親しみやすい女子学生の文章から、現在もかなりの読者が存在しています。玉石混交ではありますが扱うサイトやブログもすでにあり、それらをご覧になっている方もいらっしゃると思います。

 しかし本ホームページは、それらサイトやブログの大半とは趣きを大きく異にしています。最大の違いは、本ホームページでは「二十歳の原点」の記述や登場する事実、背後関係について可能な限りの確認を行った点です。
 そして自分で書くのもおこがましいですが、確認はかなり高いレベルで行いました。歳月の経過はあまりに大きく、その作業は結果的に困難かつ膨大でした。

 このため従来の一部サイトやブログの内容の説明と食い違う部分があるのはもとより、同書の記述自体と事実関係との相違を指摘したところもあります。
 多くの方にとって、これまで同書を読んでいてわからなかった点や、あるいは知りたかった点を理解する参考になると信じています。

 なお非営利目的とはいえ、著作権尊重の観点から文章や写真等の引用等は最小限にとどめました。引用元は明記してありますので、本ホームページをご覧になった方がご自身で原文等にあたられることを希望します。タイトルに「案内」と名付けたのもそのためです。

 もし本ホームページによって、「二十歳の原点」に残した高野悦子さんの軌跡と、それを公表した故・高野三郎氏の思いが末永く伝わる一助になれば、編集人の望外の幸せです。

 おしまいに本ホームページにはたくさんの方のご協力をいただきました。とくに取材を重ねた京都の方々には、貴重な時間を使って親切に対応していただきました。改めてここに感謝いたします。(2012年10月)


一年にあたって


 高野悦子「二十歳の原点」案内の開始から一年がたちました。

 この間、予想を超える多数の皆さまにご覧いただくことができました。励ましのメールや鋭いご指摘のメールもたくさん届きました。誠にありがとうございます。
 また全国各地の取材・調査で多数の方々に惜しみないご協力をいただきました。高野悦子さんの生前のご人徳によるものと思いますが、ご協力がなければ本ホームページは成り立ちませんでした。ここに改めて感謝いたします。

 私事になりますが、ことし2月に母が、8月に父が他界しました。編集人はホームページご覧の方の想像より年齢が低く、まさかこの歳で両親とも失うとは思いもしませんでした。命の大切さ、尊さを身にしみて感じました。
 大変恐縮ですが、これに伴って─もともと会社勤めのかたわらという制約はありましたが─執筆作業が遅れております。尽力しておりますが、取材した内容の一部は掲載までかなりのお時間をいただいていることをお許しください。

 その一方で取材をさらに急いで進めることにしています。
 関係者が高齢化しています。たとえば、これまでの取材で、高野悦子さんと同じく1967年春に立命館大学文学部史学科日本史学専攻に入学した105人のうち10人以上がすでに亡くなっていることがわかりました。その中には、日記の記述に登場する人物が複数含まれているほか、最近亡くなったばかりの方も目立ちます。
 今、少し思い上がりかもしれませんが、二十歳の原点の現在の読者はもちろん、将来の読者から「どうしてあの時にできるかぎり取材をした人はいなかったんだ」と言われることのないようにしたいと考えています。

 今後もあたたかいご支援をいただければ幸いです。(2013年10月)


三年半がたって


 「二十歳の原点」案内は三年半がたちました。

 個人的ですが、一昨年夏に勤め先で配置換えがあり、極めて激務になりました。時間も気力も余裕がなくなり、取材した内容をホームページに掲載するまでかなりの長期間を要する事態になりました。
 しかし、そうした間にも高野悦子さんの関係者の方から連絡をいただいたりお会いする中で、数多くの貴重な当時の情報をいただきました。それらは高野悦子さんが残した軌跡にほかなりません。正確性を十分に確認したうえで、できるだけ生かしていくことを改めて誓いたいと思います。

 そしてホームページでさらに大切にしたいことを2点加えていきたいと思います。 
 一つは女性の観点です。高野悦子さんを間近で見て話していたのは圧倒的に女性です。さらに現在の「二十歳の原点」の読者は女性の方が割合が高くなっています。無意識でも男の一方的な目線になってしまわないよう心がけたいと思います。
 もう一点は、高野悦子さんが“見た風景、暮した世界”と現在との違いを明らかにすることです。スマートフォンや携帯電話はおろか、CDもラジカセもない時代です。私たちが当然と思っていることで当時は事情が異なることについて詳しく触れたいと思います。
 いずれも本ホームページが、あくまで読者の方が日記を理解する参考になることをめざしているためです。

 引き続きご覧いただければ幸いです。(2016年4月)


日記の真実を求めて


 六年をかけてここまでたどり着きました。初心に返るつもりで、ホームページの考え方を改めて記したいと思います。

 高野悦子「二十歳の原点」は戦後の日本で最も読まれた日記の一つであり、数多くの読者に影響を与えました。
 しかし日記は彼女の人生全てではありませんし、自らの周囲の状況についても一部しか書かれていません。その個人的な視点での記述は、読者にとって多くの疑問が浮かんでくるものでもありました。
 そこで本ホームページでは彼女が影響を受けた事柄に関する事実や彼女についての証言を集め、できるだけ人物像に近づけるようにしました。
 それも二十歳で自殺した女子学生として評伝するのではなく、日記に従って段階的にたどれるようにしました。過程を知ることによって彼女の個性を理解できると考えるからです。もとより日記における客観的事実に関する記述は正確であり、結果的に本ホームページはその記述を補う形になっています。
 読者にとって身近に感じられるように、写真や地図の多用、ゆかりの地の紹介なども徹底しました。一方で、仮説や想像、フィクションは一切ありません。推測もできるだけ排しましたが、推測が避けられず、かつ極めて有力と判断できる場合だけ慎重な表現で記しています。
 予断を持たずに真実を示すことこそ読者の多くが求めるところと確信しています。

 取材・調査・研究は関係者のご協力なしにはありえません。これまでに話を聞いた方は高野さんと直接の面識があるだけでも数十人に上っています。本当に感謝しております。ホームページをご覧になった方からメール等で頂きましたたくさんの励ましの言葉も力になりました。

 今後ともよろしくお願いいたします。

 2018年6月 東京・中目黒で 編集人 N. Kitamoto