裏愛宕とはおおむね、愛宕山山頂にある愛宕神社から北に、国道162号(周山街道)(京都市右京区~京都府京北町細野(現・京都市右京区京北細野町))から西に、細野川(京都府京北町細野~京都府八木町神吉(現・南丹市八木町神吉))から南に、京都府道50号(京都府八木町神吉~京都市右京区)から東に囲まれた山間部の通称である。愛宕山の表参道に比べると訪れる人は少ない。
『二十歳の原点序章』の記述だけではこれ以上の特定はできない。ただ当時のハイキングで「裏愛宕」と呼ぶ場合、典型的には、国鉄バス(現・西日本JRバス)・愛宕道停留所…廃村田尻…松尾峠…谷山川出合い…高雄停留所のルートを指していた。このルートを参考に紹介する。
愛宕道に沿ってウジウジ峠…ダルマ峠…首無地蔵を経て愛宕山へ至るルートを通った可能性も残る。
阪急・松尾駅(現・松尾大社駅)-(嵐山線)-桂-(京都本線)-阪急・大宮駅…四条大宮停留所-(国鉄バス(現・西日本JRバス))-愛宕道停留所
愛宕道停留所は京都府京北町細野(現・京都市右京区京北細野町)にあった国鉄バス(現・西日本JRバス)京鶴本線(現・高雄・京北線)の停留所。
2013年、国道162号の京北トンネル開通に伴ってJRバスの経路が新道に移り、新道に細野口停留所が設置された。旧道にあったJRバス・愛宕道停留所は廃止され、現在は公営の京北ふるさとバス・愛宕道停留所だけ残っている。
以下、当時の有力なガイドブック、北山クラブ編『京都周辺の山々』(創元社、1966年)から引用する。情景の描写は現在と異なる。
「国鉄バスを愛宕停留所で降りる。愛宕道の名のように、愛宕山詣の道の一つであり、北桑田方面の人達によって利用された道である。バスを降りたところはちょうど、細野下公民館の前であり、南へ向う一条の林道が山深くいりこんでいる。田尻へ行くには、この林道を伝う。林道は乗用車一台が通れる程の広さをもち、忠実に田尻川沿いにつけられている」
「歩くこと約30分で谷の分岐どおりに林道は二つにわかれる。右が愛宕道と呼ばれる道であり、ウジウジ谷を経てダルマ峠へ、そこから尾根伝いに首無地蔵を経て愛宕本峰の社へ至るのである。近年、この道を利用する人がまれなためか、いくぶん荒れている。この分岐点の付近は杉の美林が相当見事である。田尻へ行くには左の道をとる。田尻はカラリと明るい小平地である。杉苗畑が広がり、一軒家がポツンと立っている。この田尻は廃村であり、村の亡びたのは昭和17年ごろのことであるという。現在ある一軒家は、無人の境となっていた田尻へ戦後入植されたものである。最後まで残った土蔵もくずれ落ちた今、廃村をしのばせるものは、わずかにかつての家の敷地の石垣のみである」
「松尾峠へ向う私達は、田尻谷を忠実につめる。林道は終わり、谷ぞいの小道となる。三体の石仏が道のべに安置されている。そろそろ木馬道があらわれ始める。右へウマ谷を見送るとこのあたりから初夏のころなら野鳥の声が豊富に聞けるところである。水の流れはいよいよ清冽に、杉林は静かなたたずまいを見せる」「笹が道の両側からおおいかぶさってくると、すぐ松尾峠である」
「少し下ると、松尾地蔵尊がある。りっぱな坐像が小屋の中に安置されている。昔は清滝川沿いの街道とは別に、間道としてこの松尾越えの道もかなり利用されたらしい。この地蔵尊はその名残りであろう」
「ヒウチヤ谷を右へ見おろしながら尾根を谷山川出合いまで下るのである。先程の田尻川ぞいの道とは違って明るい見晴らしのよい尾根道である。谷山川に出れば林道を下り、1時間弱で高雄に着く。
谷山川の両岸は杉の植林地帯であるが暗い感じはない。両側の山の斜面にはたくさんの道がついているのが見える。水量は豊富で水流の音が聞こえてくる。岩が多くあって水が美しい谷である」
「高雄からは京都駅、京阪三条方面へ国鉄バス、京都バス、市バスが出ていて交通は至便である」(北山クラブ編「裏愛宕から松尾峠を経て高雄へ」『京都周辺の山々』(創元社、1966年))。
「愛宕道というのは愛宕神社への北からの昔の参道であったが、今はこの道からお参りする人もなく道も荒れてしまった。途中に田尻という部落が地図には残っているが今は全然ない。田尻八軒田八反などという言葉が残っているが、亡びたのはそう古いことでもなく、2、3年前まで大きな土蔵が一つ残っていた。廃村に興味のある人は通ってみるとよい。田尻から朝日峰の肩、松尾峠を越えて高雄へ下る道もよい道だ。滝又ノ滝をたずねてこの道を高雄へ出るハイカーも多い。この辺は裏愛宕とよばれてハイカーに親しまれている」(森本次男「滝のある谷─愛宕裏滝又ノ滝付近」『京都北山と丹波高原』アルパイン・ガイド45(山と渓谷社、1964年))。
このルートのうち田尻と松尾峠の間は2020年現在、大量の倒木で通行が困難になっている。
☞1968年11月29日「今日のコンパで」
☞二十歳の原点1969年2月6日「酔いながら牧野さんのところへいく」
「ポリタン」はポリタンクの略語。山行用の飲料水を入れるのに水筒より安価で軽量なポリタンクを利用した。ペットボトルや一般向けミネラルウォーターが登場するのは1980年代である。「ファスナー」はファスナーが使われているバッグの意味。
ワンゲル部のスペースが清心館の屋上に通じる踊り場にあったためである。
☞清心館
☞立命館大学広小路キャンパス
☞1968年12月16日「何だか今度の山小屋ワンデリングは全てうまくいったようだ」
1968年12月5日(木)に映画『未青年』を鑑賞している。
☞未青年
12月7日(土)は月の出が午後6時20分・方位55度(北東)・月齢16.8。下宿(原田方)から見て、月が比叡山の方向に位置するのは午後7時45分ごろである。正しくは12月5日(木)の月齢14.8が満月だが、この日は雨だった。
当時は窓から桂川や比叡山付近までの景色を眺めることができた。現在は住宅などに遮られ見えなくなっている。
☞原田方
1968年12月5日(木)に映画『未青年』を鑑賞した際、館内および映画の次作予告で『白い恋人たち』が告知されていたためである。
☞未青年
☞白い恋人たち
ゴーゴー喫茶は、大音響の音楽の中でゴーゴーダンスを踊ることができる喫茶店。ディスコの前身にあたる。京都市内にも複数あった。
☞二十歳の原点1969年2月5日「河原町通りを歩いて、ふとパチンコ屋に入ろうかと思い」
京都:曇・最低5.0℃最高15.6℃。日中は雲が多かった。
前のタバコ屋は松尾温泉鳥米の売店である。
ハイライトは日本専売公社(現・日本たばこ産業)が製造・販売しているたばこの銘柄。フィルター付き・ロングサイズ20本入りで当時80円。
1960年発売で、1968年には売り上げ世界一を記録するなど、1960年代から1970年代にかけて日本で人気の銘柄だった。人気はその後セブンスターに移った。
☞二十歳の原点1969年6月3日「なけなしの金で買ったショートピースの味はうまいのか、にがいのか」
☞松尾温泉鳥米(売店)
NHK-FM午前10時00分~午後0時00分:[ステレオ]リズムアワー①ジャズ「恋の終列車」「天使」②ラテン「エル・ココテーロ」「エスペランサ」。
夕方の散歩で右に曲がったのは京都市右京区(現・西京区)嵐山宮ノ前町ほかにある嵯峨街道(京都府道29号)の松尾大社前(現・松尾大社交差点)である。南西方向になる。
この道は、約50m先で分かれる。二人連れが来たのは、西方向の道の松尾大社からだったため、左手の道で南南東方向に入った。
☞松尾公園
農家の家々や森があったのは東小学校のおおむね南から西の方向である。
☞二十歳の原点1969年6月22日「そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して」
阪急・桂駅の嵐山線上り嵐山方面ホーム(現・京都本線下り大阪梅田方面ホーム)とみられる。
☞阪急・桂駅
NHK-FM午後11時40分~55分:朗読(再)「風にのってきたメアリー・ポピンズ」高井章子
NHK-FMで12月2日(月)に始まり、午前10時45分~11時00分に本放送、午後11時40分~55分に再放送があった。「メアリー・ポピンズ」は、パメラ・リンドン・トラバース(英、1899-1996)の児童向け文学。子守の女性が不思議な出来事を起こす物語で、原作は1934年から1988にかけて執筆された一連のシリーズ。
☞二十歳の原点1969年3月16日「「ね、おはなしよんで」を朗読し」
☞1968年10月30日「PRスキー実行委員としての責任を果たす中で」
☞仕事にいく途中会った・梅沢さん
『白い恋人たち』(原題:13 JOURS EN FRANCE、1968年)は、クロード・ルルーシュ監督のフランス映画である。
日本では東和(現・東宝東和)配給で、1968年11月9日(土)に封切りされた。
1968年2月6日から18日までの13日間、フランス・グルノーブルで開かれた第10回冬季オリンピック大会の記録映画で、「<男と女><パリのめぐり逢い>で激しい評判をよんだ─クロード・ルルーシュ《監督》とフランシス・レイ《音楽》の名コンビが、またも贈る興奮と陶酔の名篇!」。
「監督は「男と女」「パリのめぐり逢い」などで独自の映像美をつくり出したフランスの俊英クロード・ルルーシュ。「アメリカの裏窓」などの作品でドキュメンタリー監督ナンバー・ワンといわれているフランソワ・ライシェンバックの助力を得て、この祭典に集った人々がくりひろげる人間ドラマの表情をあらゆる角度からとらえ、色採ゆたかな映像にリリックな音楽をマッチさせて、記録映画に全く新しい境地を開いている。
撮影に使用されたフイルムは93,000メートル。撮影に従った技術者は、スキー・カメラマンとしてその名を知られているウィリー・ボークナーはじめ、20数名。60台のカメラを縦横に駆使している。
用いられている音楽はすべて「男と女」「パリのめぐり逢い」でルルーシュと組んでいたフランシス・レイの作曲。リリックな美しさに満ちているメイン・テーマ「グルノーブルの13日」はじめ「キリーの歌」「ペギーの歌」「滑降の歌」の4曲で、作詞アヌーク・エーメの夫、ピエール・バルー。彼自身及び新人女優ニコール・クロワジルの2人が歌っている」(「かいせつ」『白い恋人たち』パンフレット(大阪映画実業社、1968年))。
京都では12月7日(土)から12月20日(金)まで東宝パレス映画劇場でロードショー公開された。
☞東宝パレス映画劇場
前の旅館は京都市右京区(現・西京区)嵐山朝月町の料理旅館(割烹旅館)、松尾温泉鳥米(とりよね)である。明治中期に創業し、地元で養鶏場を営む鶏肉等の卸販売と料理屋が沿革の老舗。浴場に「超音波風呂」「サウナ風呂」の施設もあった。
「夏季は、桂川で網舟もやる。網舟というのは、和船に客をのせ、川の流れに漕ぎ出して、投網をし、とれた小魚を舟中で即席天ぷらにして舟中宴をはるもの。京ならではの納涼としてなかなか面白く、会社のレクリエーションや家族づれでも楽しめる」(臼井喜之介「鳥米」『新編京都味覚散歩』(白川書院、1970年))。
建物は建て替えられ、現在は「京料理とりよね」の店名で料亭・日本料理店として営業している。旅館は行っていないが、岩風呂は利用できる。
京都では鶏肉を「かしわ」と呼ぶことが多い。
松尾温泉鳥米には東側の建物に道路(嵯峨街道)に面して売店と喫茶があった。売店でたばこやパンを売っていた。
建て替えに伴い売店は南東側に移動した。
屋外にあったたばこ自動販売機は撤去されている。
☞1968年12月8日「とうとう前のタバコ屋でハイライトを買って来た」
京都:雨・最低11.8℃最高15.2℃。明け方まで全天に雲があり、午前中から雨になった。月出12月11日(水)午後10時20分、月齢20.8だった。
下宿(原田方)の部屋から階段を上ると屋上に出られた。
阪急嵐山線の一番電車は午前5時00分桂発嵐山行で松尾駅(現・松尾大社駅)発車後、午前5時04分頃に原田方付近を通過する。二番電車は午前5時10分嵐山発桂行で、松尾駅停車前の午前5時11分頃に原田方付近を通過する。
☞二十歳の原点1969年3月16日「「ね、おはなしよんで」を朗読し」